工芸家プロフィール
インタビュー記事(2010年頃)
天草地方の竹工芸は今から約260年前、初代・窪地伸右衛門氏から始まり、名人として名を馳せた5代目・多吉氏によって天草一円にその技術が広まりました。天草市本町の杉林に囲まれた山中に工房「竹細工 窪地」を構える
原材料の真竹は年に1回、山をひと越えした竹やぶから10月?11月にかけて伐採。「切った竹は山の中に寝かせて、必要な分だけ使います。竹も時間が経つと枯れてしまうため、翌年の夏までには使い切ります」最初に竹を十文字の4つ割りにしたあと、竹割りナタを使って次々と縦半分に分割。一定の幅に揃えたら今度は薄く剥いでいきますが、新しい竹ほど水分を含んでいて剥ぎやすい。仕上げの縁巻きが一番の難所で、先の尖った溝切りの角度がわずかでもずれると、全てに影響してしまいます。窪地さんのゴツゴツとした手には、この感覚がしっかりと刻まれています。完成品は青々としていますが、竹の表面を磨いたものだと、年数が経つにつれて黄金色の飴色へと変化します。最近では楕円形のパン籠や、均整のとれた買い物籠などが人気です。窪地さんの住む集落では、かつて24戸が農業の片手間で竹工芸の技術を受け継いできましたが、現在は窪地さんだけになってしまいました。伝統工芸の世界では後継者不足に頭を抱える人が少なくない中、窪地さんの元では担い手が育ちつつあります。「好きでないと出来ない仕事。技術を継承していけるのは、嬉しいことですね」