main_5960.JPG【玩具】
住岡工房
住岡 忠嘉-人吉市-
1942年八代市生まれ。明治後半に初代・住岡喜太郎氏がきじ馬、花手箱などの郷土玩具を復興。2代目・忠嘉氏は小学生のころから父の仕事を手伝い始め、20歳から本格的に製作を開始する。1988年くらしの工芸展入選。1989年・1990年日本グッド・トイ100選に「キジ馬」「花手箱」が連続選定、同年に木工芸品コンクール入賞。九州自動車道の人吉〜八代間、肥後トンネル入口(人吉側)にきじ馬と椿をデザインする

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るい子(妻)、住岡忠嘉、久美子(娘)

 人吉球磨地方では馴染み深い郷土玩具のきじ馬、花手箱、羽子板。その始まりは約800年前にまでさかのぼる。壇ノ浦の戦いに敗れて九州の山間へと落ちのびた平家一族は、縁のある球磨の領主を頼って人吉へと向かう。しかし、その地はすでに源家の地頭の世となり、頼りを失った彼らはさらに人吉の奥地へと逃げ、永住の居を定めた。都の栄華を偲び、寂しさを慰めるために彼らが作り始めた無雑作な玩具が、現在のきじ馬の原型になったといわれています。赤、黄色、緑、白と、鮮烈な色彩は今も受け継がれ、毎年2月に開催される人吉のえびす市では露天に並ぶきじ馬を男児に、花手箱を女児への土産として買って帰るのが習わしとなっている。一旦は廃れようとしていたこの郷土玩具を、初代・喜太郎さんが苦労の末に復興。その意志を受け継ぎ、現在は2代目の忠嘉さんがきじ馬をはじめとする木工を担当。妻・るり子さんは色付け、長女・久美子さんは花手箱、次男・高行さんは現代風のかんざしやアクセサリーなど、家族それぞれが得意分野を生かして作り続けている。


きじ馬やうずら車の胴に使う木材は、桐が中心。車輪には年輪が男らしさを象徴しているという松を使い分ける。それぞれ5年ほど寝かせ、十分に乾燥さて割れるのを防ぐ。どう切り込むかが姿に影響するため、木取りと切り出しには神経を遣う。「きじ馬作りで一番難しいのが車輪。これがキチンと回転するよう芯に竹の棒を入れ、胴に溝を入れて固定させます」。額に刻まれた「大」の字に子供の成長の願いを込め、端午の節句に飾られているというきじ馬。「大きなきじ馬は、新築祝いや開店祝いに贈ると、人が集まると喜ばれていますよ」と、るい子さん。

また、黒い縁どりと白地に描かれた鮮やかな椿が特徴の花手箱は、要望に応じて花の大きさや数、配色を変えたりと注文にも応じてもらえる。
箱形に組んだ木を接着剤が乾くまで固定したあと絵付けを施していくが、顔料に代わって現在使われてるのは、水性絵の具。色の塗り方にも決まった順番があり、乾けばほとんど色落ちすることはないという。


 昔ながらの手法を守りつつ、きじ馬はキーホルダーやタイピン、耳掻きに。花手箱は筆箱や箸入れ、ティッシュケースにと、現代のニーズにあわせた商品を開発。こうして形を変えながらも継承することこそ、伝統工芸の姿といえるだろう。

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▼手元


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きじ馬づくりの胴体になる桐の枝。ヨキという斧状の道具で、一気に形を切り出す

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お花の先生に修復を依頼された羽子板は20年近く料理の盛り皿として愛用されたもの。これから表面を削って絵付けをすれば、新品のように再生する

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▼道具

きじ馬に使う道具。(左から)木を裁断するヨキ、皮むき用の小刀、丸ノミ、平ノミ、全体を荒削りするセン、糸鋸、仕上げ用の反りガンナと平ガンナ

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▼作品

(左から)きじ馬、羽子板、花手箱。手前のうずら車は松と桐の素朴さが人気
【※作家さん所有の作品です】