IMG_6061.JPG【肥後象がん】
雅号:永芳
坊田 透-熊本市-

1937年京都府宇治市生まれ。終戦間際、家族で母の実家熊本へ移り住む。1955年京都駒井象嵌継承者川人芳男氏に師事。1962年肥後象嵌作家永代正一氏に師事、その後人間国宝増田三男氏に師事。西部工芸展入選、入賞(4回)。日本伝統工芸展入選(3回)全国伝統工芸士作品展「会長賞第一席」受賞。日本工芸会準会員。伝統工芸士。


 もともと、手先の器用な子供だったという坊田さん。小学校2年生の時には、竹製の鳥かごを一人で作り上げ、周りの人々に驚かれたというエピソードを話してくれた。坊田さんは、麻の葉など繊細で細かな模様を得意としている。

 坊田さんが、象がんを始めた18歳当時は就職難の時代。手に技を身につける職業がいいと探していたところ知人の紹介で京都の川人芳男氏に師事することとなる。象がんというものがあることも知らなかったという。

 「修行が始まったころは、反抗したこともありましたが、実際に自分の力だけでは作れないと思い知らされ、それからは毎朝の掃除に始まり、職人の世界で社会人として鍛えられました。」

 使い先で、お客様が師匠の作品を見て腕がいいと聞くうちに、自分でも憧れる存在に変わっていったという。その頃身に付いた、上手な物をみて、その人より上手なものが作れるように努力する精神は今でも変わらない信念だそう。

 「昭和35年(1960)ごろ、熊本で米光太平(よねみつたへい)さんの刀の鐔や帯留めなどを見て感動し、熊本で肥後象がんを学ぶことを決意しました。」

 当時、すでに一人前の職人として注文も受けていた坊田さん。米光氏に直接師事することはなかったが、何度も会い、アドバイスも受けた。熊本では、象嵌作家として活躍していた永代正一氏に師事。自分でも西部工芸展に作品を出すようになり、1965年ごろからは、自分の思うように好きな作品作りを本格的に行うようになり、現在に至っている。

 「今後は、肥後象がん師全体の技術のレベルアップや、古風な図柄にとらわれることのない抽象的なデザインなど、肥後象がんの可能性を広めていきたい。」

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作品写真【※作家さん所有の作品です】

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金銀も紋様は、型をついて抜いたり、金線をはめ込みながら描いていく。

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左から 作業中の生地を固定する松脂(まつやに)で作った台。ハンマー、ピンセット、鹿の角、タガネなど。

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鹿の角を使って、金銀をたたきこんでいく。金属を傷つけず、彫った布目が消えないためには、鹿の角がちょうどいい硬さ。