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main_2921.JPG【肥後象がん】
米野美術店
雅号:光城
米野 純夫-熊本市-

1938年生まれ。
父・健一氏が創業した「米野美術店」のもと、
米光太平(よねみつたへい)氏を中心とする6人の象がん師により肥後象がん制作を開始。
ここから多くの象がん師が育つ。
自身も古来から続く錆び付けなどの技法を受け継ぐ。

 肥後象がんといえば装身具が主流の今、米野純夫さんは肥後象がんの原点ともいえる刀鐔(つば)を主体に作る数少ない象がん師だ。「刀の柄(つか)の頭(かしら)、馬針(ばしん)、縁(ふち)、小柄(こづか)なども作りますが、どれも刀の添え物ですから単なる装飾品ではなく、実用に応じたものばかりなんですよ」。

18歳からこの道に入り、父が営む美術展で取引していた刀鍔(つば)を作っていた人間国宝・米光太平さんのもとで25年間働いた。しかし米光さんが高齢となり、次の担い手を育成することに。「昔の徒弟制度のように無給で修行させるのは難しい時代でしたから、象がん師を米野美術店の社員として雇うことになったんです」。こうして数多くの肥後象がん師たちがここから巣立っていった。

 明治9年に発せられた廃刀令以降、装飾品へと移行していった歴史をもつ肥後象がん。「そういう物は消耗品ですが、本当に良い作品は100年経っても大切にされて残るもの。後輩たちにはそうした作品を残してもらいたいですね」。そうした思いで取り組む米野さんもまた、刀鐔も1枚作るのに半年がかりだという。

「今は次々に商品化しないと商売が成り立たないところもあるので、時間をかけて良い作品を作ることが難しい時代になりました。良い仕事をするほど手間もかかって数が出来ない。高給取りにはなれないのが難しいところです(笑)」と苦笑いする。
 効率ばかりがもてはやされる時代だが、こうした匠の技に触れて感性を養うことこそ、現代人には必要ではないだろうか。

 「若手工芸家の皆さんには良い作品をたくさん見てほしい。見る目が腕を引っ張るんです。買い手の皆さんには作品の良し悪しを見比べて、良い作品を手に入れていただきたいですね」。

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▼作品

金銀の丸い模様を一つひとつ打ち込んだ刀鐔。よく目を凝らすと細川家の九曜紋がデザインされている【※作家さん所有の作品です】

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▼材料

刀鐔の原料は通常鉄だが、宮本武蔵が作った鐔と同様に銅を用いることも

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▼手元

粉末にした朴(ほお)の木炭と硫黄を混ぜた中に鉄生地を漬けて表面を荒らす。これを熱しながら3時間かけて何度も錆び付け液を均等に重ねていくと黒地に変化する

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生地を叩き、音の善し悪しでキズがないかを確かめていく。不純物がある昔の物のほうが仕上がりは美しいという

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▼道具

上部はタガネ、下は打ち込みに使う鹿の角や鉄の布目に模様を入れるコンパス、布目消し用の磨き棒など。道具を見れば、腕の上手下手は一目で分かるという