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main_1911.JPG【肥後象がん】
光助
大住 裕司-熊本市-

1957年生まれ。
1981年に会社を辞めて帰熊、この道に入り父・正敏さんから肥後象がんの技術を学ぶ。
1995年代表取締役社長に就任。
伝統の技法を継承しつつ、付加価値のある作品づくりや異業種交流などで新分野の展開を図る

 江戸時代から鍛冶屋として熊本城に刀鐔を納めてきた大住家。廃刀令以降の1874年、「肥後象嵌 光助(みつすけ)」として創業。現役で活躍する父・正敏さんとともに伝統を受け継ぐのが4代目の大住裕司さんだ。

 「肥後鐔が全国的に名を馳せた江戸時代、坪井という町に象がん師が集めれていたんです。大住家も京都から移り住み、廃刀令のあとに現在の屋号で店を始めたのが明治から。熊本は良い砂鉄に恵まれていたことも、象がん技術が栄えた理由の一つでしょうね」。

 現在は6人の職人さんとともにさまざまな商品を作っているが、有名メーカーとタイアップした万年筆や腕時計など、異業種との商品開発も積極的に行っている。最近では海外、とくに中国からの観光客に向けた新商品作りや象がんづくりの体験会を構想中だ。
 先代たちの腕も確かで受賞歴は数えきれないほどあるが、あくまで商売人として使い手第一主義を貫いてきた大住家。「作家肌と職人肌に分かれると思うのですが、大住家の場合は、一般の方に使って喜んでいただけるための商品づくりを目指す職人肌の家系ですね」。

 大学を出た後、東京で会社員をしていた大住さんだが、スキー中に大ケガをして長期休養することに。「会社を辞めて、熊本で治療することになったんです。あの事故がなかったら会社員を続けていたかもしれません(笑)」と語るが、外での経験が今に生かされているともいえる。

 現在は山形県の大学教授とともに漆の技術を共同開発したり、ステンレスやチタンなど新しい素材と組み合わせた新商品開発のため、遠方にまで足を運んでいる。 「新商品の開発すべてを私が行っています。今はまだ不景気だから、他の業界の皆さんも何かを探している。逆に言えば不景気のときこそ新しいアイデアや商品を生み出すチャンスなんですよ。時代のニーズにあわせながら伝統を守り続けていきたいです」。

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▼道具

象がんを施す際に土台となるヤニ台、ヤニ台を溶かすバーナーなど。打ち込む金銀は、いずれも純金・純銀だ

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▼手元/布目切り

布目切りで細かい刻みを入れた鉄生地に純金の模様を打ち込んでいく。中心から外側に向けて打ち込むのがコツだ

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▼作品

デザイナーとコラボした腕時計から家紋入りの特注カフスまで取り扱う商品は幅広い【※作家さん所有の作品です】