suyaki_4223.JPG天草陶磁器
高浜焼 寿芳窯
上田陶石-天草市-
1762年(宝暦12年)第6代伝五右衛門武弼、高浜皿山(鷹の巣)で焼物を始める。
1771年(明和8年)平賀源内「陶器工夫書」の中で天草陶石を称賛する。
1777年(安永6年)長崎奉行の薦めで、オランダ人向けに長崎出島で赤絵磁器を販売。
1804年(文化4年)第7代源太夫宜珍、瀬戸の陶工加藤民吉に高浜焼の技法を授ける。
1988年焼物工場を改築。1997年上田資料館完成。現在代表は上田萬寿夫さん。



 有田焼をはじめとする日本の磁器原料の約80%を、熊本県天草下島西部に分布する「天草陶石」が占める。この天草陶石を採掘・出荷している「上田陶石」が、自社で扱う中でも最上級に純度の高い天草陶石だけを用いて作っているのが、「高浜焼 寿芳窯」だ。

天草陶石は粉砕が比較的簡単で、天草陶石だけで磁器を作ることができる。また透明だが強度があり、硬い製品ができるので和洋食器いずれにも使いやすい原料として、全国的に有名だ。

「敷地内にはかつて線路が走り、天草陶石を運ぶための馬車が山を往来しました。」
とは、工場長の古田寿昭さん。

 代々、天草陶石を供給してきた上田家だが、これが陶磁器原料として優良であると聞いた6代目は肥前長与の陶工・山道喜右衛門を招いて1762(宝暦12)年から高浜村鷹の巣山で焼物を開始。これが高浜焼の元祖といわれる。

当時の作品は赤、青、緑に紫といった色彩豊かな絵付けで九谷焼にも似ている。安永6年(1777年)、五島に居留していたオランダ人との貿易も行われていた。その後、7代目~10代目にかけては、白肌に呉須(ごす)の冴えたる藍色だけを用いて下絵を施したものへと移り、現在もこのスタイルが絵付けの中心となっている。

一旦成型した器を乾かし、硬くなった表面を濡らして水分を含ませると、粗い粒子が浮き出てくる。そこをカンナで削っていくと、表面がなめらかになり、白肌に施した絵付けがよく映える。この白肌の美しさを最大限に引き出すため、素地と同じく天草陶石を主な原料とした透明釉を用いている。

こうして混ざり物のない天草陶石だけで作った食器は、透き通るようなツヤを帯びた、まぶしいほどの純白。和洋どちらにも使える角皿や急須など、そのカタチやデザインは常に進化している。

 また、焼物の工場と隣接する上田資料館には古文書や天草陶石を使った器を時代別に展示。近年はこの歴史的資料をもとに、代々残されてきた古典文様の復刻にも挑戦している。

スペインの絵皿を思わせるアーティスティックな文様や、松の葉のように広がる緑藻“海松(みる)”文様の皿など、いずれも数百年前のものとは思えないほどモダンなデザインばかりで、ほかの文様の復興にも期待が高まる。




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原料の天草陶石は、天草西海岸線に沿って海岸脈と村山脈、東方の皿山脈から成り立つ鉱床(こうしょう)から採掘したなかでも高純度のものだけ

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白磁を薄く仕上げるため、作品によって使い分けるろくろ用のカンナ

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成型し乾かした生地は、つなぎ目の凹凸部分を水拭きでならしていく

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(奥から)葡萄柄の正方角皿、近年復刻した海松(みる)文様のデザート皿【※作家さん所有の作品です】

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昭和50年(1975年)3月 高浜焼窯跡 熊本県指定史跡に指定 
昭和50年(1975年)7月 江戸時代の古文書、典籍、高浜焼色絵磁器が熊本県指定有形文化財に指定 
平成12年(2000)2月 くまもと景観奨励賞受賞 
平成18年(2006)3月 上田本家文化庁登録有形文化財に指定 隣接の上田資料館には200年以上続く高浜焼の貴重な作品や覚書が所蔵されている