main-e_2607.JPG小代焼(しょうだいやき)
末安窯
末安 英介-荒尾市-
1940年生まれ。1970年に父の跡を継ぐ。九州山口陶磁展、西部工芸展、熊本県美展、日本伝統工芸展など入選・入賞歴多数。書家と共同作業により東京や台湾の美術館での個展を開催

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末安 洋介-荒尾市-
1970年生まれ。有田窯業大学で人間国宝・井上萬二さんの手ほどきを受けたのち、父のもとに師事。現在も修行を重ねながら大壺などの大作にも挑戦している。

 小岱山のふもとで陶芸活動に取り組んできた末安窯の末安英介さん・洋介さん親子。
 英介さんの父が重い病気を患い、30歳で後を継ぐことになった。

「思えば、それが運命だったのでしょう。父の仕事を手伝ったことはあったものの、ロクロ一つ回したことがなくて。」

それからは父の元にいた職人の技を見よう見まねで覚えていった。
 展示場には、英介さんの作った大きな壺と父の壺が並んで鎮座する。

「僕は父の作品が大好きでね。ときどき自分の作品と見比べるんだけど、どうしてもあの雰囲気が出せない。後継ぎになると、先代の作品が常に立ちはだかるんです。しかし父とは時代背景も生き方も違うのだから、自分なりの生き方を個性として作品に出していければいいと思うようになりました。」

国内外の神社仏閣を観て歩き、屋根の稜線の美しさに触れてカタチの美しさを重んじるようになっていった。現在は息子・洋介さんが後継者の道を着実に歩んでいる。

「まわりから期待されていたので、小さい頃から後を継ぐのだろうと意識していました。」

洋介さんは小学生のころから早朝4時に起きて、火入れなどの手伝いをしてきた。有田窯業大学で学んだ後、そのまま父に師事。

「自分らしさを意識して作ってはいません。個性は自然に生まれるものだと思うから」。小学生のころは天文学者に憧れていたという。現在は父親が先代から受け継いだ大壺の技法を学んでいる最中だが、将来は星座や宇宙を器の上で緻密に表現するのが夢だと教えてくれた。

 父の病をきっかけに、英介さんが陶芸と向き合って40年。

「技術は身に付きましたが、それは自分が不調なときに補うものにすぎない。カタチにとらわれず、年齢を重ねただけの“枯れた美しさ”を表現していきたいですね。」

あくまでも“商売人”ではなく“作り手”。おだやかな言葉の中に、表現者としてのプライドが込められていた。



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 近くの山で掘ってきた原土を乾かし、水を加えて沈殿、撹拌(かくはん)、濾過(ろか)を繰り返して粘土状になったものを機械で練り上げると、蛇腹状の隙間にプレート状の粘土に。酒造りでたとえると酒粕のようなもの

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40年以上使い続けている窯。まわりに灰がつき、ガラス状のツヤを帯びている

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種類の異なる釉薬。黒いワラ灰釉をかけると白く、白茶けたものは透明、鉄分を混ぜた赤茶色は焼くと緑色に変化する

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公募展に出品した父・英介さんの花瓶。砂鉄を混ぜていぶし銀のような重厚感のある仕上がりに【※作家さん所有の作品です】

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薪窯の灰が独特の模様を生み出した焼締めのカップは洋介さんの作品。偶然の“ひねり”が持ちやすいフォルムに【※作家さん所有の作品です】