main_5870.JPG【陶磁器】
三池焼(みいけやき)
中村秀昭-玉名郡-

1957年福岡県大牟田市生まれ。1975年に先代である父が「三池焼」を大牟田市で開窯。現在の玉名郡南関町へ移転したのち、1982年から作陶の道へ。以来、辰砂を中心とした日常の器を作り続けている

 ザクロの果実のように深紅の光を放つ、辰砂(しんしゃ)。もともとは中国の宮殿の柱などに用いられていた赤い鉱物の名だが、銅を着色剤として含ませた赤い釉薬を用いた焼物の色が似ていることから、こう呼ばれるようになった。辰砂に魅せられ、親子2代にわたって究極の焼き色を追究してきた「三池焼」。2代目の中村秀昭さんは25歳を迎えるころ、本格的な作陶の道を歩み始めた。「後を継ごうなんて考えていませんでした。最初は“なんとなく”始めたのが、正直なところ。」しかし、数年後には父が自由な創作を任せてくれたこともあり、新たな土や釉薬づくりに没頭。辰砂を軸としつつ、今ある作品のいくつかは秀昭さんが新たに生み出したものだ。


 辰砂は縁の部分が白くなるのが特徴で、ほかの着色材で出す赤色と見分けるポイント。縁の白と本体にかかる赤のバランスも、辰砂を楽しむ一つの要素だ。しかし発色が鮮烈なだけに、焼成が上手くいかないと色が剥がれおちたように見えて魅力が失われてしまう。ちなみに銅を含んだ釉薬は、酸素が十分に行き渡る酸化炎焼成だと緑色に、逆に不完全燃焼で器を酸欠状態にする還元炎焼成だと赤く発色する性質をもつ。つまり、この還元作用を利用して美しい赤を引き出すのだが釉薬の調合、厚さ、素地土、焼き方という4つの条件がうまく揃って初めて良い色が出せるという。「大変発色が難しいため、陶工が探り合いながら発展してきた焼物です。色の出し方は、どこに行っても秘密でしょう。」


 世の中のニーズにあわせて、床の間に飾る大皿などから日常食器が主流となった。「人間の継続の在り方が変わってきたように思います。以前は先祖代々受け継いできたものも、今は自分の代だけで完結してしまう世の中。ですから、昔は歴史を重ねて骨董となっていく価値ある大作も邪魔者扱いされるのが現状です。焼物を生業とする以上、売れる商品づくりを意識しないといけませんしね」。店の奥には、2010年に亡くなった先代の大皿が鎮座していた。ただでさえ目を引く辰砂だが、大作になるとその存在感は圧倒的だ。還暦祝いの贈り物として、赤いちゃんちゃんこ代わりに辰砂を選んでみるのも粋ではないか。


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辰砂の赤を引き出すのに欠かせない、ミカン灰のもととなる雑木。剪定(せんてい)されたものを農家に分けてもらう

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灰に何度も水を加えながら入れ替えてはアクを抜き乾かしたものが、釉薬の原料となる

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辰砂のカップ(手前)。系統は同じでも、灰や長石など着色剤以外の材料を変えて釉薬に混ぜることで淡い紫やピンク、緑といった変化が生まれる
【※作家さん所有の作品です】

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器の深さや直径を測るとんぼや粘土を削るカンナ、成型に用いるコテなど、どれも手作り。壁には作品への思いを込めた“一期一作”の文字が