main-si_2106.JPG【陶磁器】
陶苑 御船窯(みふねがま) 
津金 日人詩-御船町-
1973年生まれ。有田窯業大学校ロクロ科を経て、父・貞機氏および岩手県の本間伸一氏に師事、焼締による作陶の道へ。2001年県美展初出品以降毎年入選、西日本陶芸美術展ほか受賞歴多数。2005年熊本県美術協会会友推挙



main-mu_2127.JPG【陶磁器】
陶苑 御船窯(みふねがま)
日人夢-御船町-
1973年生まれ。有田窯業大学校ロクロ科修了後、父・貞機氏に師事。青瓷の作陶に専念する。西部工芸展、西日本陶芸美術展、九州・山口陶磁展、日本陶芸展、日本伝統工芸展などいずれも毎年入選。2007年日本伝統工芸展出品「青瓷壺」が宮内庁買い上げに。日本工芸会正会員。


 御船町の山林途中、ユニークなオブジェがいくつも点在する。これを目印に進むと「陶苑 御船窯」へと辿り着く。ここは父・津金貞機さんと双子の息子日人詩さん・日人夢さんが、それぞれ陶芸活動を行う場所だ。

 兄・日人詩さんが手がけるのは、焼締(やきしめ)。釉薬をかけないのが特徴で、薪を燃料とする窯で焼くことで素地に灰が降り掛かり、これがガラス質に変化して釉薬がわりとなる。この自然釉の付き方が作品に“景色”を付けていく。

 「焼物を始めるとき、父からは“マネをせず自分でやりたいことを探しなさい”といわれました。そこで、私の場合は力強さと躍動的な魅力に惹かれて焼締を選びました。」

 土は熊本で八代海に面した不知火へ出向き、みずから掘って精製する。

「堆積層でできた土地で、昔から“瓦屋さんが集まる場所には良い土がある”といわれています。焼締の場合は土によって個性が出るので、土選びが重要なのです。」

 窯焚き作業もかなりの重労働で、一度の窯焚きで体重が5キロ近くも落ちるという。日人詩さんみずから手作りした半地下式穴窯で4~7日間、10分おきに30~40本の薪をくべながら火を絶やさず焚き続ける。家族の協力なしでは出来ない作業だ。

「長く焚くほど、灰のかかり具合で複雑な“景色”ができ上がります。」

窯は通常の倍近くとなる7メートルもあるので、置く場所によってバリエーションが広がる。

 「焼締の場合、細かな色の付き方などは焼いてみないと分かりません。そこが難しくもあり、楽しくもあります。焼締がもつ“豪快さ”と、土のもつ“優しさ”をうまく融合させて、いろんな焼き方や形に挑戦したいですね。」

 一方、日人夢さんが手がける青瓷(せいじ)は、高貴な柔らかさと深みを感じさせる。青瓷との出合いで、陶芸への志が大きく変わったという。

「それまでは父親の手伝い程度に考えていましたが、26歳で青瓷と出合ってからは、これでやっていこうと決めました。創作に関しては、青瓷以外に興味がありません。」
と言い切る。
 青瓷を始めて11年。すべて独学で試行錯誤を重ねてきた。

「青瓷を始めるとき、陶芸の諸先生方から“青瓷はとても難しく、作業を覚えるだけで10年はかかる”と止められました。でも、それなら逆にやってみたいと思って。」

 青瓷の焼き方は独特で、釉薬を何度もかけて厚みを付ける。高層ビルに使われている厚いガラスのイメージだ。通常の素地の厚さでは重くなりすぎるため、限界の薄さまでロクロを挽く。
「かなり神経を使いますね。」

その上から6回、中と外に釉薬をかけるが、1回かけては乾燥させ、またかけるという繰り返し。この手間が、深みのある乳青色を生み出すのだ。

 「釉薬が分厚いぶん、焼いている途中ではがれたり、ガスが抜けきれずに気泡が浮き出てしまったり。20~30個近く作って使い物になるのは1個程度です。」

 青瓷は、品格が命。釉薬や土など、すべてにおいて良質なものだけを使う。
「釉薬や焼き方一つで色もツヤも変わります。壺や鉢など昔ながらの物を通じて、新しさを追究していきたいですね。」

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日人詩さんの道具。粘土を叩いて締めたり模様を付けたり、指がわりにしたりと、さまざまな道具を使い分ける

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日人詩さんの焼締壺。灰から生まれた“景色”(模様)が作品に深みを加えている


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日人夢さんの道具。器のサイズを決めるトンボ、口を整える切り糸、高台作りに用いるカンナなど

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日人夢さんの香炉と酒器。ぷっくりと、ふくよかな造形に品格のあるツヤをまとう【※作家さん所有の作品です】

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まわりに山積みされた薪。薪を切って割って乾かしたりと、焚く前の作業だけで3カ月がかり。これだけの量を使い切ってしまう

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日人詩さんみずから手作りした焼締用の窯。焼物の中でも歴史の古い穴窯式