main_6535.JPG【玩具】
木の葉猿窯元
永田 禮三(ながた れいぞう)-玉名郡玉東町-
1937年生まれ。20歳のころから父で先代の武二氏に師事、7代目となる。1930(大正5)年、文芸倶楽部主催の全国土俗玩具番付で東の横綱に輝く。木葉猿の製作をはじめ、粘土手作り教室などを開催している

川俣 早絵(かわまた さえ)
禮三氏の三女として1980年生まれ。南関高校の美術工芸コースで陶芸の基本を学び、奈良芸術短期大学の陶芸コースと専攻科で計4年間、陶芸の理論や技術を習得する。学校を卒業後、禮三氏に師事して現在に至る

 古代の埴輪や宇宙人を思わせるユニークな風貌の郷土玩具、木の葉猿(このはざる)。その起源は、都が京都に移されるよりも以前の奈良時代初期というから驚きだ。723年元旦、「虎の歯(このは)」の里に侘(わび)住まいをしていた都の落人が、夢枕に立った老翁のお告げにより奈良の春日大明神を祭り、木葉山の赤土で祭器を作って残りの土を捨てると、猿と化したという伝説から生まれた。地元で採れた土を砕いて作った粘土を使い、型などは使わず指先だけで粘土をひねる。この素朴な玩具は全国的に知られ、江戸時代の小説「南総里見八犬伝」の表紙に、今なお作られている馬乗猿が挿絵として登場するほど。大正時代の1930年には、文芸倶楽部主催の「全国土俗玩具番付」で東の横綱にも選出されている。

 明治頃までは4軒の窯元がこれを作っていたというが、現在残るのは、木の葉猿窯元の7代目となる永田禮三さんのところだけ。20歳のころから父・武二さんのもとで修行し、父亡き後は妻の英津子さんが絵付けを担当。永田さんの妹・井田ヨシ子さんも2人を手伝い、今ではベテランの域。

 さらに現在は、三女の川俣早絵さんがで8代目として父と並び粘土をこねている。幼い頃から粘土遊びが好きで、小学生4年生のころ受けたインタビューでは「後を継いで両親を楽にさせたい」と語っていたほど。高校、短大と陶芸の基礎や理論を学び、一回り成長した姿で父へ師事。

「厳しいご時世ですが、私の代で消えてしまっては先祖に申し訳がたたない。現在は娘が若い感性で私が思いつかないようなものを考えてくれますよ。」

と嬉しそうに見せてもらったのは、昔の型を使った泥面子や香立て。素朴な土味はそのままに、洋間にも馴染むデザインやアイデアは、早絵さんによるものだ。

 大きい猿の作り方を見せてもらった。こねた粘土に太い棒を刺し、ペタペタと胴体を作る様子は、きりたんぽ作りのようだ。棒を外すと空洞状になるが、これは素焼きする際のヒビ割れを防ぐため。ちぎる粘土の量は、寿司職人が握るシャリの量に狂いがないのと同様、手がしっかりと覚えている。最初に顔の形を作ったあと、耳を足したり長い手足をぐるりと回して定番のポーズを作る。

 「作り手によって表情も違いますし、作品を見れば誰が作ったものか一目で分かります」と早絵さん。

頼もしい後継者の手で素朴な郷土玩具は受け継がれている。




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左の道具で手足の指を粘土に刻み入れ、竹棒の断面が目の形となる。粘土の塊に木の棒を差し込み、体内を空洞にすれば、ヒビ割れ防止に

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てびねりで形作っていく。

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工房

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“見ザル、言わザル、聞かザル”の三匹猿をはじめ、馬乗猿と飯喰猿は代々受け継がれる形や色彩とは思えないほどユーモラスで現代的。小さな三猿の一つがつく香立ては、娘・早絵さんの作
【※作家さん所有の作品です】