P1100968.JPG【肥後三郎弓】
松永 重昌-葦北郡芦北町-
名弓『肥後三郎弓』を世に出した初代・松永重児氏亡き後、息子の重昌氏が2代目に。くまもと県民文化賞特別賞をはじめ受賞歴多数。1985年に昭和天皇が熊本県伝統工芸館に行幸の際には、その技を披露した。熊本県伝統工芸協会会長(2期)、全日本弓具協会副会長などを歴任したあと、80歳で現役を引退。熊本県重要無形文化財指定者。現在は、息子・弘澄さんが3代目として技を受け継ぐ。

 薩摩弓の強と京弓の優美さを兼ね備えた肥後三郎弓。弓道界で名弓として誉れ高き『肥後三郎弓』に心血を注いだ初代・松永重児さんの遺志を受け継ぎ、弓師の道を貫いてきた2代目・重昌さん。袴に身を包み、スッと背筋の伸びた立ち姿は、御年80歳とは思えないほどだ。
 
 先代の重児さんは東京の弓師の家に生まれ小学校高学年から弓作りを始め、16歳で鹿児島へと薩摩弓の修行に出る。途中、球磨川沿岸で弓の材料となる見事な竹とハゼの木が茂る豊かな地に魅せられ、25歳のときに芦北町白石に移り住んだ。そこはJR肥薩線の裏手にある、山の中腹。先代ともども、2代目を引き継いだ重昌さんは、仕事中は一切人と会わず、弓作りに精魂を込めてきた。

 弓は外側の竹に7節、内側に6節の13節という構成が基本。2枚の竹に中忌(ひご)と呼ばれる芯を交互に挟むが、その材料となるのが真竹とハゼの木。3~4年ものの真竹は肌が美しく節が低いものを霜の降り始める晩秋に切り出す。ハゼの木は痩せた土地で育ったものほど中身が詰まり、電柱の如く直立したものが理想だ。ハゼは弾性に優れて、元に戻ろうとする性質をもつ。これを真竹で包むことで強靭なバネの働きを発揮する。

 真竹とハゼの木を接着させるニベは、鹿の皮を煮詰めたもの。手間がかかるため、ニベを使っている弓師は日本で片手にも満たないという。湿度や高温に弱いが、弦楽器と同じく弓を弾いたときの響きが格段に優れている。

「弓はただ矢を射るだけでなく、張顔(はりがお)の曲線と引いたときの吸い込まれるような美しさに神髄がある。あとは、弓道家のもとでいかに大切に育ててもらえるか。まさに我が子を送り出すような気持ちです」と重昌さん。

 現在はグラスファイバーで作られた弓などが普及し、竹弓の希望者の需要は多く、高段者外国人弓道家は需要不足で間に合わぬ状態。なったというが、「そうした弓も初心者のためには必要」と重昌さんは寛大にとらえる。

 「引き際が肝心」と80歳の節目を迎えて重昌さんは勇退。今は弘澄さんが一人で仕事に励む。「材料選びやニベの煮方一つで仕上がりが微妙に変わります。一生涯、出来映えに満足することはないでしょう」とは3代目の弘澄さん。

 弓にクサビを打ち込む“弓打ち”は、午前2時の張りつめた空気の中、精神を統一して魂を込める。心技体を鍛え抜き、生み出された肥後三郎弓。その名は弓道界に永く受け継がれ、弓道家にとって憧れの対象となり続けるだろう。

nikawa_6754.JPG

接着剤の役割を果たすニベは、カンナで削った鹿の皮を半日かけて煮詰め、古いニベと混ぜ合わせて使う

danmen_6792.JPG
danmen_6759.JPG

弓の外側には幅広で柔軟性のある竹を、内側は幅が狭く硬い竹を用いる。弓を射るとき、手の中で回転する弓の動きにあわせた造り。

P1100969.JPG

全国の弓道家たちに愛用される『肥後三郎弓』。磨き上げられたしなやかな曲線美は、女性の姿にもたとえられる

P1100968.JPG