main-h_6262.JPG【染織】
水俣浮浪雲工房
金刺 宏子-水俣市-

1960年岡山県生まれ。大学卒業後、2年間就職した後、水俣生活学校で自給自足の暮らしを経験。自家栽培による在来種の伯州綿(はくしゅうめん)を使った木綿手織布や夫・潤平さんが漉いた和紙を原料とする紙布(しふ)、草木染など、自然環境と共生しながら昔ながらの機織工芸を今に伝える


 11月下旬。庭先には、フワフワとかわいらしい姿をした白色や茶色の綿が、籠いっぱいに収穫されていた。熊本で綿栽培ができるとは…。「この綿は、一般的な綿製品のものとは違うんですよ」。そう教えてくれたのは、夫の潤平さんとともに『水俣浮浪雲工房』を営む金刺宏子さん。現在流通する綿製品の大半が、繊維が長くて柔らかい新大陸綿と呼ばれるものだが、宏子さんが栽培しているのは伯州綿と呼ばれる在来種(旧大陸綿・アジア綿)。繊維が太くて短いため機械紡績には不向きだが、吸湿性・速乾性に優れて丈夫なのが特長だ。かつて日本では各地でこの綿が栽培されていたが、今ではほとんど栽培されていない。山陰で、機織を習った知人から綿の種を分けてもらい、毎年この種を大切に育てながら、30年近く栽培してきた。

 大阪出身の宏子さんが機織と出会ったのは、水俣に来てから。大学時代、島根県のワークショップに参加した際、地元の子供たちが薪割りに励んでいる横で何も出来ない自分の不甲斐なさにショックを受けた。「何でもできる手になりたい」。田舎暮らしに憧れ、水俣生活学校で1年間、自給自足の暮らしを経験した。そこで1年早く水俣での移住生活を始めていた潤平さんと知り合い、紙漉きの工房に参加と同時に機織の魅力に惹かれた。「一昔前の田舎では、畑で作った綿から糸を紡いで機で布を織ることは、畑の野菜で料理をすると同じように日常のことだと聞いて。それなら私にも出来るかなと思ったんです」。

 種を取り(綿繰り)、綿打ちのあと、糸を紡ぐ。綿の繊維は1cmにも満たないが、糸車の錘(つむ)の﨑で撚(よ)りをかけ、1本の糸となる。灰汁(あく)で煮て不純物を取り除く精練(せいれん)のあと、草木染め。染料となるクヌギやゲンノショウコ、桜、ザクロなどは、いずれも敷地内から調達したものだ。こうしてようやく、機織前の材料が完成する。この木綿手織布のほかに、珍しいもので紙布(しふ)がある。夫の潤平さんが漉いた和紙の天地を残して細く切り、天地を交互にちぎると一本の長いひも状になる。それを、水をかけながら糸車で撚りをかけると、紙の糸ができる。原料には和紙の中でも楮(こうぞ)の紙が最も適し、この糸で織った紙布は綿布よりも丈夫だという。太古から原料をともにし、切っても切り離せない関係にあった紙と布。

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工房の裏で栽培している在来種の茶綿と白綿は9~11月が収穫期。細く裁断した和紙は、糸状に撚って紙布の材料に

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知人から譲り受けた阿蘇の機織機

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(手前から)竹の繊維を1本1本結んで織ったコースター、玉ねぎの皮の紙や、イ草の紙、三椏紙など工房でできる様々な種類の紙糸で織った紙布の帯、ゲンノショウコや栗のイガで染めた木綿のマフラー、藍と紅花をかけ合わせた紫色の木綿ののれん(白い紙糸入り)【※作家さん所有の作品です】