main_J 6235.JPG【手漉和紙】
水俣浮浪雲工房(みなまたはぐれぐもこうぼう)
金刺 潤平-水俣市-

1959年静岡県沼津市生まれ。上智大学を卒業後、フリースクール水俣生活学校のボランティアとして熊本県水俣市へ。1984年胎児性水俣病患者ら5人で手漉き和紙と織物の工房を設立。1991年第5回世界竹会議で竹紙のオブジェを製作。ブラジルやアマゾンでのワークショップをはじめ、高機能イグサパルプの開発で第2回ものづくり日本大賞優秀賞受賞、資源を有効活用した和紙素材の開発に取り組む、水俣市環境マイスター

 水俣市の山中、フリースクール跡地。ここを工房兼住まいにした『水俣浮浪雲工房』で、金刺潤平さんは黙々と紙を漉いていた。金刺さんはもともと静岡県の出身。上智大学に通っていたころ、フリースクールのボランティア募集のポスターに目が止ったことが人生の転機となった。「当時、父は国鉄の中間管理職。身を粉にして働いた末に脳梗塞で倒れ、復帰しようとしても居場所がない。そんな姿を見て、今日を大事にする生き方をしたいと思った。でも、まさか住み続けるとは思ってもみませんでした」。水俣病という言葉を教科書で目にした人も多いだろう。金刺さんも「遠い昔のことですでに解決したこと」だと思っていたが、現実は違っていた。「胎児性水俣病患者たちと接するうちに期限の1年が経ち、彼らを残して帰ることはできませんでした。一緒にやれるところまでやってみようと決めたんです」。こうして患者らとともに5人で工房を開き、紙漉と機織を始めることにした。

 和紙の原料として一般的なのはコウゾや雁皮(がんぴ)、ミツマタだが、金刺さんは加えて、竹やイグサなど紙漉には不向きな素材にも挑戦してきた。そこには、水俣病を題材にした小説『海の牙』などで知られる小説家、故・水上勉さんの言葉が大きく影響していた。「縁あって彼に手漉和紙を見せると、“良い材料で良い紙が出来るのは当たり前。お前たちのような環境にいる者が、どうして見捨てられた植物たちに目を向けられないのか”と問われて、ズシリと胸に突き刺さりました。以来、廃棄される素材を和紙で生き返らせることが大きなテーマとなったんです」。親方衆による後押しもあり、高知県で本格的に和紙漉法を習得。繊維化するのは不可能と思っていた竹も、石灰水に長期間寝かせて化学発酵させることで、硬い成分のリグニンを溶かせると分かった。熊本を代表する農産物イグサに関しては、生産量の半分が規格外として処分されることを知り、素材の利点を活かせないかと研究。高い吸湿性をもつ芯を混ぜた高機能和紙壁紙素材を開発し、内閣総理大臣表彰による第2回『ものづくり日本大賞』優秀賞を受賞した。海外から誘いも多く、ドイツやマレーシア、ウズベキスタンなど数えきれないほどの国々で紙漉の技術を教えてきた。

 燃料には薪を使い、漂白剤のかわりに天日乾燥による紫外線で自然漂白。「指先や嗅覚にも感覚障害をもった彼らとの出会いがなければ、ここまでこだわらなかったかもしれません。時間が経って色落ちしたっていい。それが自然の姿なのだから。最後まで、天然にこだわっていきたいんです。」5人で始めた工房も、メンバーが途中で亡くなったり症状が悪化して離職。現在は妻の宏子さんが機を織り、地元スタッフと3人で工房を続けている。見捨てられた素材に目を向け、見事に再生させた金刺さん。たくさんの思いが込められた和紙を通して、水俣を考えるきっかけになればと願う。

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(左から)大麻、チョマ、コウゾ、ミツマタ。和紙の原料は国産の中でも地元のものをなるべく使うようにしている

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水に溶かした繊維をすくう簀桁(すげた)。奥のクシ状になったマセは、繊維を水に溶解させる道具

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(左手前から)コウゾ(チリ入り)、藍染め、タケノコの皮、コウゾ、小国杉、イグサの葉書。右は玉ねぎの皮を混ぜたレターセット【※作家さん所有の作品です】