熊本の工芸品

染織物の歴史
肥後絣(ひごがすり)は、江戸中期頃から、現在の熊本市の近郊の農村一帯で自家用として織られてきたもので、肥後木綿ともいわれます。純綿糸の藍染めで、素朴な縞模様(しまもよう)と丈夫なことが特長でした。久留米絣(くるめがすり)の影響を受け、大正、昭和初期には多数の機屋があって盛んに作られました。第二次世界大戦による原糸不足と昭和28年の水害で決定的な打撃を受け、宮崎染織だけが生産を続けていましたが、現在、製造は行なわれていません。
天草更紗は文政年間(1818-1829)にオランダ人あるいは京都の職人から技法を習得したといわれています。生地の片面に型紙を使って糊置きしていくものが主で、手描き更紗(さらさ)もあったといいます。一度消滅し、昭和初期に復興、昭和40年代の終わりまで作られていましたが、現在、生産は途絶えています。
八代郡鏡町の平本染工場は、明治末から五月のぼりを作っています。染料は顔料から樹脂染料にかわりましたが、ボカシや重ね塗りなど手描きの特徴を生かし、武者絵や鯉の滝登りを描いた昔ながらののぼりを作っています。また大正6年(1917)に創業した川尻の財津家でも、木綿地に天然染料と樹脂染料を使ったのぼりを作っています。

染織物

五月節句のぼり