水俣市の山中、フリースクール跡地。ここを工房兼住まいにした「水俣浮浪雲工房」で、金刺潤平さんは黙々と紙を漉いています。和紙の原料として一般的なのはコウゾや雁皮、ミツマタですが、金刺さんはそれらに加えて竹やい草など紙漉きには不向きな素材にも挑戦してきました。そこには水俣病を題材にした小説『海の牙』などで知られる小説家・故水上勉さんの言葉が大きく影響しています。「縁あって彼に手漉和紙を見せると、“良い材料で良い紙が出来るのは当たり前。お前たちのような環境にいる者が、どうして見捨てられた植物たちに目を向けられないのか”と問われて、ズシリと胸に突き刺さりました。以来、廃棄される素材を和紙で生き返らせることが大きなテーマとなったんです」。親方衆による後押しもあり、高知県で本格的に和紙漉法を習得。繊維化するのは不可能と思っていた竹も、石灰水に長期間寝かせて化学発酵させることで、硬い成分のリグニンを溶かせると分かったそうです。熊本を代表する農産物・い草に関しては、生産量の半分が規格外として処分されることを知り、素材の利点を生かせないかと研究。高い吸湿性をもつ芯を混ぜた高機能和紙壁紙素材を開発し、第2回『ものづくり日本大賞』優秀賞を受賞しました。海外から誘いも多く、ドイツやマレーシア・ウズベキスタンなど数えきれないほどの国々で紙漉きの技術を教えてきました。燃料には薪を使い、漂白剤のかわりに天日乾燥による紫外線で自然漂白。「指先や嗅覚にも感覚障害をもった彼ら(胎児性水俣病患者)との出会いがなければ、ここまでこだわらなかったかもしれません。時間が経って色落ちしたっていい。それが自然の姿なのだから。最後まで、天然にこだわっていきたいんです。」と金刺さん。
11月下旬。庭先に籠いっぱいに収穫されたフワフワとかわいらしい姿の白色や茶色の綿が並びます。「この綿は、一般的な綿製品のものとは違うんですよ」そう語るのは、夫の潤平さんとともに水俣浮浪雲工房を営む金刺宏子さん。現在流通する綿製品の大半が繊維が長くて柔らかい新大陸綿と呼ばれるものですが、宏子さんが栽培しているのは伯州綿と呼ばれる在来種(旧大陸綿・アジア綿)。繊維が太くて短いため機械紡績には不向きですが、吸湿性・速乾性に優れて丈夫なのが特長。かつて日本では各地でこの綿が栽培されていましたが、今ではほとんど栽培されていません。山陰で、機織を習った知人から綿の種を分けてもらい、毎年この種を大切に育てながら30年以上栽培してきました。大阪出身の宏子さんが機織と出会ったのは水俣に来てからのこと。大学時代に島根県のワークショップに参加した際、地元の子供たちが薪割りに励んでいる横で何も出来ない自分の不甲斐なさにショックを受けました。「何でもできる手になりたい」。田舎暮らしに憧れ、水俣生活学校で1年間、自給自足の暮らしを経験しました。そこで1年早く水俣での移住生活を始めていた潤平さんと知り合い、紙漉きの工房に参加と同時に機織の魅力に惹かれました。「一昔前の田舎では、畑で作った綿から糸を紡いで機で布を織ることは、畑の野菜で料理をすると同じように日常のことだと聞いて。それなら私にも出来るかなと思ったんです」種を取り(綿繰り)、綿打ちの後に糸を紡ぐ。綿の繊維は1cmにも満たないですが、糸車の錘(つむ)の先で撚(よ)りをかけ、1本の糸となります。灰汁で煮て不純物を取り除く精練のあと、草木染め。染料となるクヌギやゲンノショウコ・桜・ザクロなどはいずれも自宅の敷地内から調達したもの。こうしてようやく、機織前の材料が完成します。この木綿手織布のほかに、珍しいもので紙布(しふ)があります。夫の潤平さんが漉いた和紙の天地を残して細く切り、天地を交互にちぎると一本の長いひも状になります。それを、水をかけながら糸車で撚りをかけると、紙の糸ができます。原料には和紙の中でも楮(こうぞ)の紙が最も適し、この糸で織った紙布は綿布よりも丈夫だそうです。紙と布は、太古から原料を共にする切っても切り離せない関係ですね。