熊本県の郷土玩具とは?
郷土玩具は、身近な材料を使い、こどもへの思いや健やかな成長を願って作られたものが多く、郷土色豊かな玩具が伝承されてきました。

 

熊本県内の郷土玩具について
熊本市のおばけの金太、人吉市のきじ馬や花手箱などは個性あふれる玩具です。
玉東町の木葉猿のように、縁起物だったものが玩具として有名になったものも少なくありません。
八代市にはおきん女人形、板角力人形などがあります。
てまり類は、女性の遊び道具として愛され、江戸時代から武家の婦女子のたしなみとして作られてきたといわれています。
他にも、タヌキの置物が4つのコマに分解される彦一こまなどが有名です。
About Folk Toys of Kumamoto ▼

Many of these toys were traditionally made for children using readily available materials with the hope that the children would grow up strong and healthy. Toys are still made in Kumamoto using color schemes traditionally found in the area. There are some famous toys that were originally used as lucky talismans.

Obake no Kinta

Obake no Kinta

Obake no Kinta


When Kumamoto Castle was constructed 400 years ago, there was a foot soldier was quite good at making people laugh. He was called “Odoke no Kinta,” meaning “Funny Kinta.” Wind-up dolls were made based on this soldier in the 19th century, and were later called “Obake no Kinta,” meaning “Spooky Kinta.”
Obake no Kinta toys have a bright red face and a string attached which when pulled causes the doll’s eyes roll back and its long tongue to loll out.

 

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Konoha-zaru

木葉猿

Konoha-zaru


Konoha-zaru, or Konoha monkeys, are simple toys made of unglazed clay in the Konoha area of Gyokuto Town. They are formed without a mold by roughly shaping the clay with one’s hands. It is said that in 723, a refugee from the capital made items to be offered at a shrine using the red clay found at Mt.
Konoha after he received a divine message in his dreams. According to legend, the leftover clay he threw away transfigured itself into monkeys.
Konoha-zaru are nowadays used as charms to protect against illness and calamities as well as wish for the prosperity of one’s family.

 

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Hikoichi Koma

彦一こま

Hikoichi Koma


Hikoichi koma, or Hikoichi spinning tops, were designed based on the folklore, “Hikoichi’s Witty Story.” In this story, a man named Hikoichi defeats a naughty raccoon dog using only his wits.
The toy is actually an ornament shaped like the raccoon dog which can be taken apart to produce four spinning tops from the animal’s head, body, bamboo hat, and stage plus tail.

 

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Kijiuma, Hanatebako, Hagoita

きじ馬・花手箱・羽子板

Kijiuma, Hanatebako, Hagoita


More than 800 years ago, Heike soldiers settled in the remote regions of Hitoyoshi after being defeated in battle in the Kuma area. It is said that they began crafting kijiuma, hanatebako, and hagoita in response to feelings of homesickness for their former lives in Kyoto. These toys are made from the wood of various trees including paulownia, Japanese angelica, wisteria, and oak. They are given a rustic design with red, yellow, and green paint.

 

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Okinjo Dolls & Itazumo Dolls

おきん女人形・板角力人

Okinjo and Itazumo dolls are toys from the Yatsushiro area. Okinjo dolls are made by painting paulownia wood. These dolls are used by young girls to play dress up or play house.
Itazumo dolls were originally made in connection with sumo wrestlers from Hinagu in Yatsushiro City.

 

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Higomari

肥後まり


Higomari is an ornamental ball with a core made from rice hulls and wrapped in cotton string colored with natural vegetable dyes to produce a design.
Higomari have been made since around 1965 and were based on the ball-shaped ornament “temari,” which have been produced in various regions across Japan since the Edo Period.

 

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Higotemari

肥後てまり

‘Higotemari’ is an ornamental ball. Women have transmitted the method for crafting these balls for hundreds of years. The famous song ‘Antagata Dokosa’ was made for the ‘Higotemari’.

 

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Obake no KintaKonoha-zaruHikoichi KomaKijiuma, Hanatebako, HagoitaOkinjo Dolls & Itazumo DollsHigomariHigotemari

おばけのきん/Obake no Kinta

おばけの金太とは?
おばけの金太は黒い鳥帽子に赤い顔をした郷土玩具で、頭の中にある竹バネ(0.2~0.3mmの薄さ)のからくりによって、紐を引くと目玉がひっくり返って表情が変わり、長い舌をペロリと出します。

材料:顔…紙 カラクリ…竹など 台座:木

製造開始年代 19世紀の中頃
制作の中心地域 熊本市
材料 紙、竹、木など
おばけの金太の歴史
おばけの金太のモチーフとなった人物は、顔立ちが面白く、人を笑わせることが上手な「金太」という足軽が加藤清正が熊本城を築く際にいて、「おどけの金太」と呼ばれて人気者だったといいます。
そんな金太のお話伝説をもとに19世紀の中頃(嘉永年間)、人形師の西にしじんひこひち(五代目)がカラクリ人形を作り出したのが原型だといわれ、後に「おばけの金太」、別名「目くり出し人形」と呼ばれるようになりました。
現在は厚賀新八郎氏(十代目)が製作されています。

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おばけの金太

おばけの金太について
工芸家紹介(おばけの金太)

厚賀新八郎
厚賀伸彦

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映像でみるおばけの金太の製作工程

厚賀新八郎 氏 アーカイブ映像

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ざる/Konoha-zaru

木葉猿とは?
木葉猿は、型を使わず指先だけで粘土を捻って作り、素焼きした素朴な玩具で、元は無彩でしたが、現在は彩色したものもあります。
悪病・災難除け、子孫繁栄などのお守りとしても用いられています。
製造開始年代 伝承では723年(養老7年)頃
制作の中心地域 玉名郡玉東町木葉
材料 地元産粘土
木葉猿の歴史
723年(養老7年)の元旦に、「」の里に住んでいた都の落人が夢枕に立った老翁のお告げによって奈良の春日大明神を祀り、神社に奉納する祭器を木葉山の赤土を用いて作りました。残った土を捨てたところ、それが猿に化けたという伝説から生まれたものといわれています。

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木葉猿

木葉猿について
工芸家紹介(木葉猿)

永田禮三
川俣早絵

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映像でみる木葉猿の製作工程

永田禮三 氏 アーカイブ映像

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ひこいちこま/Hikoichi Koma

彦一こまとは?
タヌキの絵付けをした置物の形をしていますが、頭、胴、かさ、台と尾を組み合わせた部位に分解すると4つのこまになります。
他にも「おてもやん」や「くまモン」の彦一こまも作られています。
製造開始年代 1950年(昭和25年)頃
制作の中心地域 八代市
材料
彦一こまの歴史
八代地方に伝わる、彦一がいたずらタヌキをとんちで負かす「彦一とんち話」からヒントを得て、1950年(昭和25年)頃、井芹勉 氏によって創作されました。

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彦一こま

彦一こまについて
工芸家紹介(彦一こま)

※現在製作されていない工芸家も掲載しています。
井芹勉
井芹眞彦

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映像でみる彦一こまの製作工程

井芹眞彦 氏 アーカイブ映像

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きじうまはなばこいた/Kijiuma, Hanatebako, Hagoita

きじ馬・花手箱・羽子板とは?
きじ馬・花手箱・羽子板は、子どもの健やかな成長を願う縁起物として親しまれてきた郷土玩具です。
きじ馬は桐・ダラ・藤・柏などを材料に、形に応じて胴体を作り、黄・緑・赤の素朴な色付けを施されています。
花手箱は、モミ、ヒノキ、杉などの板で作った箱で、白で地塗りした後赤と緑で椿の花が描かれます。
羽子板は山桐の板に山椿が鮮やかに描かれます。人吉で開かれるえびす市などで販売されました。
製造開始年代 800年以上前
制作の中心地域 八代市
材料 きじ馬:桐・ダラ・藤・柏
花手箱:モミ、ヒノキ、杉
羽子板:山桐
きじ馬・花手箱・羽子板の歴史
800年以上前、平家の落人たちが球磨地方に逃れ、人吉の奥地へ住み着いたとき、都の暮らしを懐かしんで作り始めたと伝えられています。

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きじ馬・花手箱・羽子板

きじ馬・花手箱・羽子板について
工芸家紹介(きじ馬・花手箱・羽子板)

※現在製作されていない工芸家も掲載しています。
【花手箱・獅子頭・羽子板】
池口正樹
【きじ馬・羽子板・花手箱】
住岡忠嘉
住岡孝行
【きじ馬・花手箱】
宮原健雄
宮原清光
日隠寛一
山本文博
【羽子板・花手箱】
池口真人
【きじ馬】
源島斉
斉藤友安

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映像でみるきじ馬の製作工程

住岡忠嘉 氏 アーカイブ映像

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いたもうにんぎょう・おきんじょにんぎょう/Itazumo Dolls & Okinjo Dolls

板角力人形・おきん女人形とは?
板角力人形は江戸時代の天保年間に日奈久の嶋ヶ崎という力士にちなんで作られました。桐材の薄い板を切り抜いて作られます。
おきん女人形は八代市日奈久で桐材に着色して作られています。主に幼女が着せ替え人形やままごとに使うお土産品、飾り物として愛用されてきました。
湯女のおきん女という美人薄命の娘を悼んでつくられた人形で、別名「べんにんぎょう」ともいわれます。
製造開始年代 江戸後期
制作の中心地域 八代市日奈久町
材料

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板角力人形・おきん女人形

板角力人形(写真左)・おきん女人形(写真右)

板角力人形・おきん女人形について
工芸家紹介(板角力人形・おきん女人形)

※現在製作されていない工芸家も掲載しています。
桑原健次郎
桑原哲次郎

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まり/Higomari

肥後まりとは?
江戸時代から伝わる各地のてまりを参考にして、1965年(昭和40年)頃から作り始められました。
もみがらを芯とし、草木染めした木綿糸で模様を作っています。
製造開始年代 戦後、1965年(昭和40年)頃
制作の中心地域 熊本市
材料 もみがら、木綿、草木染木綿糸

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肥後まり

肥後まりについて
工芸家紹介(肥後まり)

※現在製作されていない工芸家も掲載しています。
外村吉之介
肥後まりの会(山隈政子)
肥後まりの会(昇裕子)

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映像でみる肥後まりの製作工程

肥後まりの会 山隈政子氏 アーカイブ映像

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てまり/Higomari

肥後てまりとは?
芯にへちまを用い、刺繍糸で様々な文様を施したてまりを肥後てまりと呼びます。
てまり唄の「あんたがたどこさ」に出てくるてまりはこの肥後てまりといわれています。
製造開始年代 江戸時代前期
制作の中心地域 熊本市
材料 ヘチマ、綿、木綿糸、刺繍糸
肥後てまりの歴史
城勤めの奥女中さんが作り始めたのが始まりと言われており、明治ごろに広まったゴムまりの影響で一時は姿を消してしまいましたが、昭和43年に肥後てまり同好会ができ、その技術が受け継がれ多くの人々へ広められています。

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肥後てまり

肥後てまりについて
工芸家紹介(肥後てまり)

肥後てまり同好会

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ぐさてまり/Higomari

い草てまりとは?
イ草を芯にして、表面の装飾にもいぐさを編み込んだ熊本ならではのてまりです。
一針ごとに気持ちを込めてい草や草木染めの木綿糸で模様が縫い込まれたてまりたち、芯にもイ草が入っているので、ほのかにイ草の癒しの香りが漂います。
熊本い草てまりの会は、もともとは草木染めの木綿糸を使った手まりを作る趣味の会でしたが、「自然素材を使った原料で作れないものかと探していたとき、“熊本特産のイ草を使ってみては?」との思いからい草てまりを作り始められました。

 

材料 イ草、草木染の木綿糸、和紙など

い草てまり

い草てまりについて
工芸家紹介(い草てまり)

熊本い草てまりの会(山村玲子)

はりざいはり

張り子細工とは?
和紙の重ね貼りで作られた面や獅子頭などに彩色した郷土玩具で、玩具や置物として使われます。
張子の技術は江戸時代に始まり、1つの型から何個も同一の作品を作ることができるといわれています。
※現在、熊本では制作されていません。
製造開始年代 江戸時代前期
制作の中心地域 宇土市など
材料 和紙、ふのり、ふん

張り子細工

張り子細工について
工芸家紹介(張り子細工)

※現在製作されていない工芸家も掲載しています。
【宇土の張り子】
坂本カツ
坂本紀美子(坂本人形屋)
【張子細工】
厚賀昭男

あまくさバラモンだこ<

天草バラモン凧とは?
微風でも上がるように竹ヒゴが細く、図柄は朝日に鶴が舞い上がり下部には亀が描かれた、目出度いものとなっています。
江戸時代頃にポルトガルの宣教師が伝えたと言われており、天草では、男児の初節句に天草バラモン凧を贈ってお祝いをしていました。

 

製造開始年代 江戸時代後期
材料 真竹、女竹、和紙
天草バラモン凧について
工芸家紹介(天草バラモン凧)

※現在製作されていない工芸家も掲載しています。
番田龍夫
天草凧の会

天草バラモン凧の製作工程)

  1. 竹ヒゴを作る
  2. 竹ひごを組み立てる
  3. 紙を張る
  4. 彩色する
  5. 糸付けする

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その他の郷土玩具

※現在は製作されていない工芸品もございます。

がわだこ

ジャンル
きょうがん
工芸品名・地域
がわだこ
(宇城市)
工芸家氏名
竹田兼喜
小川凧保存会

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なんばんてまり

ジャンル
きょうがん
工芸品名・地域
もんまり
(あさぎり町)
団体・工芸家名
ほんまちじんかい(1979年第1次指定時名称)
あまくさまりの会
南蛮手まりは、天草地方に伝わるまりです。

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くまもといっとうぼり

ジャンル
きょうがん
工芸品名・地域
くまもといっとうぼり
(人吉市)
工芸家氏名
むらかみいっこう
くまもと一刀彫は、村上一光さんが独学の末に確立した新しい手法で作られた工芸品です。

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もんまり

ジャンル
きょうがん
工芸品名・地域
もんまり
(あさぎり町)
工芸家氏名
きのしたヒルヨ

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さくらてまり

ジャンル
きょうがん
工芸品名・地域
さくらてまり
(水俣市)
工芸家氏名
いしやまミツエ

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うそ

ジャンル
きょうがん
工芸品名・地域
うそ
(上天草市)
工芸家氏名
みずせいいち

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とうきび人形

ジャンル
きょうがん
工芸品名・地域
とうきび人形
(阿蘇)
工芸家氏名
迫幸七

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こま

ジャンル
きょうがん
工芸品名・地域
こま
(熊本)
工芸家氏名
なかしまとら

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