ジャンル
こうやき

ライン

工房名・地域
こうやきそう あががま
(八代市)
氏名
あがひろゆき

ライン

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工芸家プロフィール

1956年
熊本県八代市に生誕。佐賀県立有田工業高等学校窯業科卒業。九州造形短期大学デザイン科卒業。
1977年
自宅工房にて後継者として作陶を始める。熊日総合美術展、西部工芸展、県美展など入選・入賞。韓国釜山・慶州など視察、朝鮮陶工末裔展など作陶展出品。熊本・福岡・東京・群馬など作陶展開催。
1999年
紀宮様御使用茶碗制作(熊本国体)。
2001年
皇太子殿下(現天皇陛下)へ全国高校総体御来熊御礼として前潮谷知事より花瓶贈呈。
2005年
八代市市民栄誉賞陶額制作。
2011年
相国寺承天閣美術館「肥後松井家の名品」特別出品。
2019年
八代市有功者表彰。
2022年
開窯420記念作陶展(八代市 松濱軒)。
その他
熊本県美術協会会員熊本県文化懇話会会員熊本県伝統工芸協会会員八代市文化財保護委員

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高田焼上野窯の歴史

高田焼上野窯について

高田焼の歴史

@高田焼の起源
慶長7年(1602年)豊前藩主 細川忠興公が陶工・尊楷を招き、豊前国上野村に開窯。
A肥後入国(熊本へ)
寛永9年(1632年)尊楷は細川家の肥後入国に伴い、八代郡高田木下谷に移り奈良木窯を築きます。
B平山に移窯
尊楷の息子、忠兵衛、徳兵衛が高田の平山に窯を移し、以後明治維新に至るまで、代々細川家御用焼として作陶を続けました。
日奈久に移窯
明治25年、現在の日奈久に窯を移しました。

 

高田焼上野家初代 、尊楷(後の上野喜蔵)は、加藤清正に従い朝鮮半島から渡来した陶工で細川家の家人として豊前国上野村(現:福岡県田川郡福智町赤池上野字釜の口)に窯を開きました。
寛永9年(1632年)に、細川家の肥後入国に伴い八代郡高田村に移り築窯、熊本藩の御用窯を担ってきました。
以後、分家して三家となりましたが、明治時代に分家は廃窯、本家は1892年に窯を日奈久に移し現在までその伝統を守り続けています。

受け継がれる伝統 高田焼上野窯 家系略図

上野家家系図

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インタビュー記事(2023年1月頃)

上野 浩之 氏は、420年にわたる伝統を守り継ぐ高田焼宗家上野窯の十二代 当主で、十三代目となる息子の 浩平 氏と共に作陶を続けています。
有田工業高校窯業科へ進学し、「突き進むしかない」という強い思いを胸に陶芸の道を歩んできました。
以前、坂本寧 氏(※1)から「お父さんよりも一つでも多く、一日でも早く優れたものを作るのがあなたの使命だと言われたことはとてもはげみになった」と語ります。

伝統工芸に目を向けてもらうにはその良さを知らせる努力が必要との思いから、東京などで展示会も開催しています。
※1 坂本善三美術館名誉館長 医師、画家で坂本善三 氏に師事。

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インタビュー記事(2010年頃)

こうやきの歴史は、豊臣秀吉の朝鮮出兵の折、加藤清正に従い渡来した陶工・そんかいの存在を抜きにしては語れません。
ほそかわただおき公が小倉入城の際に招かれ、開窯したのが始まりとされます。その後、分家した3家が細川家御用窯を続けてきましたが、そのうちの一家で、400年余にわたる伝統を守り継ぐ12代目こそ、「あががま」のあがひろゆきさんです。
こうやきの特徴であるぞうがんせいの技法は、半乾きの素地に竹べらまたは押印によって文様を彫り込み、長石を埋め込みます。細川家御用窯だった江戸中期、藩の御用絵師によるさししょをもとに作品を作り納めていましたが、その名残として象嵌技法が残ったようです」
代表的な文様にはうんかくしまこよみ、菊、桜、たんからくさなどさまざまあり、今も作品の半分近くにこれらの柄が用いられています。
繊細華麗な描線で花鳥風月を表現する高田焼は、土作りの難しさと象嵌という特殊な技法により大変な手間を要するため、少量しか生産できません。
だからこそ希少性があり、この伝統技法の継承に誇りをもつ陶工たちの手で大切に守られてきました。「こうやきにはぞうがんせい以外にもさまざまな技法がありますから、江戸時代の名品にも迫るような作品を再現してみたいですね」と浩之さん。

数ある工程の中でも、とくに重要なのが土作りといわれます。こうやきの青磁は、釉薬自体で発色させる一般的な青磁とは異なります。鉄分の多い素地をガス窯による還元法(酸素が足りない状態でいわば窒息状態で燃焼が進行する焼き方)で焼いて土そのものの色を生かします。土作りで色が決まるため、その調合や窯の温度管理が重要です。「最近は既製品の土を手に入れることも出来ますが、高田焼に適したきめ細かさと象嵌青磁の発色に適した陶土は、自分の手で精製しないと作れません」。あががまでは、幕末から150年にわたり地元・の土を自分たちで掘り続けています。現在、息子・浩平さんが13代目を継承。東京藝術大学で彫金を学び、焼き物作りの道へ。「焼き物以外の技術を吸収することで作品に広がりが生まれると思って」。その経験は現在の活動に十分生かされています。「伝統文様以外にも幾何学文様といった抽象的な文様を取り入れ、同年代にも共感してもらえるオリジナルデザインにも取り組んでいます。高田焼は敷居が高いイメージがありますが、クオリティを保ちつつ気楽に扱える器づくりを試行錯誤しています」。それぞれの視点から高田焼の可能性を探る親子の活躍が楽しみです。

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