ジャンル
こうやき

ライン

工房名・地域
こうやきそう あががま
(八代市)
氏名
あがこうへい

ライン

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工芸家プロフィール

1978年
熊本県八代市に生誕。
熊本県立第二高等学校 美術科、東京藝術大学美術学部工芸科 彫金専攻、京都市伝統産業技術者研修 陶磁器コース本科を経て帰郷。
父・ あがひろゆき氏に師事。
高田焼伝統の青磁象嵌を用い、御用窯時代より受け継がれる伝統文様に加え、独自にデザインする文様と形で日用各器から茶道具まで幅広く手がける。
2016年〜
トヨタ自動車レクサスがスタートさせた工芸家サポートプロジェクト「LEXUS NEW TAKUMI PROJECT 2016」熊本県の匠に選出され、リバーシブル食器シリーズ「双器/そうき」や、配合を変えた土を複数種象嵌し、グラデーションを表現する技法「霞鼠/かすみねず」を発表するなど、地産陶土が持つ色や質感を生かした表現を追求している。
近年では茶の生産者や茶師との交流から淹茶用の茶器制作にも力を注いでいる。

工芸家紹介TOPHOME

高田焼上野窯の歴史

高田焼上野窯について

高田焼の歴史

@高田焼の起源
慶長7年(1602年)豊前藩主 細川忠興公が陶工・尊楷を招き、豊前国上野村に開窯。
A肥後入国(熊本へ)
寛永9年(1632年)尊楷は細川家の肥後入国に伴い、八代郡高田木下谷に移り奈良木窯を築きます。
B平山に移窯
尊楷の息子、忠兵衛、徳兵衛が高田の平山に窯を移し、以後明治維新に至るまで、代々細川家御用焼として作陶を続けました。
日奈久に移窯
明治25年、現在の日奈久に窯を移しました。

 

高田焼上野家初代 、尊楷(後の上野喜蔵)は、加藤清正に従い朝鮮半島から渡来した陶工で細川家の家人として豊前国上野村(現:福岡県田川郡福智町赤池上野字釜の口)に窯を開きました。
寛永9年(1632年)に、細川家の肥後入国に伴い八代郡高田村に移り築窯、熊本藩の御用窯を担ってきました。
以後、分家して三家となりましたが、明治時代に分家は廃窯、本家は1892年に窯を日奈久に移し現在までその伝統を守り続けています。

受け継がれる伝統 高田焼上野窯 家系略図

上野家家系図

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