肥後鐔

 刀剣と同じ玉鋼(たまはがね)を鍛錬(たんれん)し、鉄の色、姿かたちの美しさ、それに象がん(ぞうがん)や透かし彫りが施されます。品格があり、拵(こしらえ)に調和し、なによりも実用性を重視した工芸品です。
 寛永9年(1632)細川忠利は肥後に転封し、父の忠興(三斎)は、時の名匠を召抱え刀剣金具の技倆の奨励をはかりました。
 工人としては、林又七、平田彦三、志水仁兵衛、西垣勘四郎らがおり、別派に、三角倖司、遠山頼家がいます。

 

製作開始年代:江戸前期
材料:玉鋼、和鉄

肥後鐔 製作工程

鍛錬

 日本刀と同じ鋼材(はがねざい)を折り返し鍛錬する。

図案書き

 鉄の色沢を増した鉄材に図案を書く。

彫り

 タガネその他の小工具で図柄の通り彫り透かし仕上る。