岡部 祐一

【天草陶磁器】
岡部 祐一(おかべ ゆういち)
天草陶磁器 水の平焼(みずのだいらやき)
-天草市-

 

1971年熊本県本渡市生まれ
1994年京都精華大学美術学部卒業後、帰郷
1997年熊本県美展入選、2000年第13回熊本クラフトフェスティバル大賞獲得

岡部 祐一

1765年、岡部常兵衛氏によって創業。海鼠釉(なまこゆう)の元祖「水の平(みずのだいら)焼」は240年以上の歴史を重ねます。3代目・弥四郎氏が従来の水の平焼に一層の改良を加えて作品を作り上げ、1877年内国勧業博覧会で花紋章牌を受賞。水の平焼の名を全国的に広めました。さらに5代目・源四郎氏が着色釉の研究に取り組み、赤海鼠釉を開発。水の平焼の大きな特色となりました。そして現在、7代目・信行さんと8代目・祐一さんがその技術を伝承しています。
海鼠釉は、最初に下ぐすり(釉薬)をかけたあと、ワラ灰を使った釉薬をもう一度かける二度掛けが特徴。最初に鉄分が多い釉薬をかけて乾かせた後、2つめの釉薬を重ねると、それらが混ざり合って海鼠の肌のような色の深みが生まれる。「釉薬の原料は木やワラの灰を使うため、自然の影響で成分や発色も変わります。思わぬ変化が魅力の半面、同じものを作りたいときには苦労しますね」。
簡単に材料をそろえることもできる時代ですが、作り手として自分で原料を吟味して納得しないものは使えないと岡部さんは語ります。「原料の確保が一番大変です。たとえば釉薬には酸化第二鉄を使いますが、崖の地層から鉄分の多い土を選んでも、自然なものだけに質の変動が激しい。現在は鉄分の多い阿蘇の黄土を使っていますが、これもまた均一ではなくて」。
黒みがかった従来の青海鼠は土がベースの陶器だが、赤海鼠は天草陶石が原料となる磁器。5代目がその特徴となる“赤のもと”を福岡の山から舟で運び、信行さんの代まで3代かけて使ってきました。「色も質も完全にこれだというものは、なかなか。“次はもっと良いのが出来る”という想いに取りつかれていくんですよ」。
現在、8代目の祐一さんは守り継がれてきた釉薬を使いつつ、色の使い方やデザインの見せ方で自分ならではのものを追究。弟の俊郎(としお)さんは磁器を専門とし、水の平焼 器峰(きぼう)窯として開窯。頼もしい2人の担い手が、新たな伝統を紡いでいくことでしょう。

 


 1765年、岡部常兵衛氏によって創業。海鼠釉(なまこゆう)の元祖、水の平焼は240年以上の歴史を重ねる。三代目・弥四郎氏が従来の「水の平焼」に一層の改良を加えてた作品を作り上げ、1877年、内国勧業博覧会で花紋章牌を受賞。「水の平焼」の名を全国的に広めた。さらに五代目・源四郎氏が着色釉の研究に取り組み、赤海鼠釉を開発。水の平焼の一大特色となった。

 

 海鼠釉は、最初に下ぐすり(釉薬)をかけたあと、ワラ灰を使った釉薬をもう一度かける二度掛けが特徴。最初に鉄分が多い釉薬をかけて乾かせた後、2つめの釉薬を重ねると、それらが混ざり合って海鼠の肌のような色の深みが生まれる

 

 黒みがかった従来の青海鼠は土がベースの陶器だが、赤海鼠は天草陶石といった石が原料となる磁器。

 

 祐一さんは陶器と磁器を専門とし、守り継がれてきた釉薬を使いつつ、色の使い方やデザインの見せ方で自分のものを追究。

2011年1月


道具
祐一さんの道具。自作だと融通がきいて使いやすいという。茶碗や湯のみの内側にあてて滑らかにするコテは、昔の重箱を解体して再利用したもの

 

粘土
掘ってきた土から粘土を作り、水分を抜いてプレート状にしたものを土練機(どれんき)で柔らかくしていく

 

作品

 

長男・祐一さんの海鼠釉は伝統的な技法に釉薬で模様を加えたりと、現代的なデザインにアレンジ。
【※作家さん所有の作品です】