青木 克裕

【高田焼(こうだやき)】
青木 克裕(あおき かつひろ)
伝七窯(でんしちがま)
-八代郡-

青木 克裕

1967年熊本県生まれ
1992年から父・修氏のもとで修行
県美展入選3回

 


 八代郡氷川町で高田焼に取り組む青木修さん・克裕さん親子。

 

 1632年から続いている高田焼は、朝鮮出兵の折に朝鮮半島から連れてこられた優秀な陶工の一人、尊楷(そんかい)が作陶を始めたのが高田焼の初めとするのが通説とされる。独特の土味と釉調を生かし、高麗風の象嵌をほどこしたのが特徴だ。
 原料となる土はきめ細かいため、土作りがもっとも重要となる。

 

「少しでもほかの土が混ざったら、見た目ですぐに分かってしまう。大変な重労働で作業の大半が粘土作りといってもいいほどです。」

 

 大きな甕(かめ)に粉砕した原土を入れ、水を足して撹拌(かくはん)させる。これを漉(こ)しながら別の甕(かめ)に移し、上澄(うわず)みをとっていく作業を繰り返すが、一升が入る柄杓(ひしゃく)からとれる粘土は、わずか小さなスプーン1杯にも満たない。これを素焼きの鉢に入れて自然乾燥させ、キズやムラを防ぐために長く寝かせて収縮率を低くしていく。象嵌(ぞうがん)に用いる白土とのバランスも大切で、これらの相性が悪いと、模様がはがれてしまう。この粘土作りを担当する息子・克裕さんは、サラリーマンを経て高田焼を始めた。
「高田焼は高価なイメージがありますが、まずは高田焼に触れてもらう間口を広げたくて価格帯も手頃にし、デザインも日常で使ってみたくなるものを心がけています。」

 

 克裕さんが今、力を入れているのが、メンバー同士の得意分野を生かしたコラボ作品だ。

 

「高田焼、木工、肥後象がんの3人でコラボした商品づくりが進行中です。こうして熊本の伝統工芸品を知ってもらえれば嬉しいですね。」

 

 コンピュータ制御で焼き上げる方法もある時代に、“自らの目や感覚で確かめる仕事をしたい”と昔ながらの作り方を守り続ける親子。一つひとつに個性を宿した作品を見れば、こだわる意味が理解出来る。

道具

 

生乾きの生地に竹べらで模様を掘ったり、手作りの型を押印して白い粘土で象嵌を施す

 

水肥

 

甕(カメ)の中に土と水を混ぜ、何度も混ぜてキメを均一にする。これを何度も土を漉(こ)しては上澄みを取ると、キメの整った粘土状に。これを天日で干し、水分を抜いていく

 

作品

 

人吉の木工家とコラボしたランプウェード、姉が象嵌を施したマグカップと釉薬に塩を混ぜて赤みを出したビアグラスの絵柄(克裕さん作)