くらしと工芸Vol.5 (2019.8.22)
「くまもとの匠の風土を語るものづくり くまもとの刃物編」
県内各地の伝統工芸をご紹介する「くまもとの匠の風土を語るものづくり」。第5回となる今回は、熊本の刃物をご紹介します。
鎌倉・室町時代からつづく「くまもとの刃物」
鍛冶職人というと、刀鍛冶を思い浮かべがちですがその昔、民衆のくらしを支えていたのは“野鍛冶”や“農鍛冶”と呼ばれる鍛冶職人でした。鍬や鋤、鎌といった農具や漁具、山の手入れに使う刃物や、台所仕事に欠かせない包丁などをつくる鍛冶職人が日本各地に存在し、“鍛冶屋町”と呼ばれる職人街が形成されることも多くありました。
人吉市の鍛冶屋町は、熊本で最も歴史の長い鍛冶職人のまち。その歴史は鎌倉時代にさかのぼります。当時、人吉球磨一帯を治めていた相良氏はたくさんの鍛冶職人を城下町に集めました。最盛期には60数軒もの鍛冶屋が軒を連ねていたそうです。平時には農作業用の刃物を作り、いざ戦いが始まると武具を手がけるていたといい、その技術と対応力には驚くばかりです。昭和の初め頃までは移動型鍛冶屋として、球磨地方から宮崎県の農村をまわっては農具や山仕事の道具を製造・修理する職人も多くいたといいます。人吉の鍛冶屋町には今も、石畳の道の両脇に白壁の商家や工房が立ち並び、往時の面影をしのばせます。
一方、熊本市南区の川尻は室町時代末期からの鍛冶屋町です。薩摩の刀工・波平行安(なみのひらゆきやす)が、川尻の水に惹かれてこの地で刀鍛冶をはじめたのが始まりといわれています。この地の鍛冶を語るのに欠かせないのが、加勢川の水運です。軍港や年貢米の積み出し港として整備され、藩の造船所が設けられた川尻では、さまざまな種類の用具がつくられるようになりました。近年では“川尻刃物=包丁”といったイメージが定着していますが、昭和の初めには刀鍛冶や鐔(つば)鍛冶、野鍛冶、包丁鍛冶のほか、船や家に使う釘、蹄鉄といった専門ごとに鍛冶職人がいたそうです。
熊本県伝統工芸品「川尻刃物」の鍛冶職人 林昭三さん
熊本県の伝統工芸品に指定されている川尻刃物。その伝統を受け継ぐ林昭三さんは、今年91歳の現役鍛冶職人です。鋼(はがね)を軟鉄(なんてつ)ではさみこみ、手打ちで鍛え上げていく「割り込み鍛造」は、林さんが祖父の代から受け継ぐ技法。加熱と鍛造を繰り返すことで、鋼と軟鉄がしっかりと一体化していきます。さらに、粗さの異なる砥石を用いて5段階の研ぎ作業を重ねることで、長年変わらぬ切れ味を保つ包丁が生まれます。
県内各地のさまざまな刃物
川尻や人吉・球磨など県内各地で、鍛冶の伝統を受け継ぐ職人たち。刺身用の長い包丁や、出刃包丁、どんな食材にも万能な三徳包丁など、食材や用途に合わせて選べる包丁は、料理人や主婦はもとより、外国人観光客からも注目を集めています。機能性の高さだけでなく、刃文や刻まれた銘など見た目の美しさを兼ね備えたものも多く、一生ものとしてひとつ備えておくのもいいでしょう。
また、ひそかに根強い人気を集めるのが、庭仕事用の刃物。左右に広がったような横鋸刃と、まっすぐな縦鋸刃が並んだ人吉市「岡秀」の「ピストル鋸」は、おが屑が左右に飛び散る工夫がなされているためひっかかりがなく、女性でも軽い力でシュシュッと枝を切れる驚きの逸品です。
また、春から秋にかけて多くの人が悩む除草作業も「根取りフック」を用いれば、アスファルトのすき間から顔を出す頑固な雑草も、楽に除去できます。一度使えばクセになる使い心地、くまもとの鍛冶職人の技を借りない手はありません。
(木下真弓)
【参考商品】
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