宇土張り子 Uto Hariko
宇土張子は、明治の初め頃、広島県の尾道から旅に出ていた夫婦が宇土市本町1丁目の坂本家に1年近く滞在したお礼にと、坂本勝治と妻サキにその技法を指導したのがはじまりと伝えられています。
その後、娘のカツが母と共に約70年にわたり、独自の技法を加えながら宇土張り子を完成させ、戦時中でさえも作り続けました。
宇土張子には、相撲取りやおきなこぼし、蒸気汽船、虎車、飾り馬、大天狗面、烏天狗面など30種近くありました。
終戦の前日の空襲で、原型は焼失しましたが、戦後もいち早くおきなこぼしは復活したようで、昭和30年頃にはかなりの種類が復元されました。