工芸家プロフィール
木葉猿は、玉名郡玉東町木葉に伝わる郷土玩具です。地元の粘土を手捻りで成形後、素焼きし、時に彩色をして仕上げます。由来は古く、723年(養老7年)の元旦に「虎の歯(このは)」の里に侘(わび)住まいをしていた都の落人にまつわる伝説から生まれたと伝わっています。江戸時代には土産品として広く知られており、人気小説「南総里見八犬伝」の表紙にも登場しています。
明治頃までは数軒の窯元が制作をしていたようです。現在、永田禮三氏が7代目となる木の葉窯元は、人々の幸福を象徴する愛らしい姿はそのままに、日頃から体験教室を開催したり、新しい作品を登場させたりするなど、木葉猿の魅力を発信し続けています。
インタビュー記事(2010年頃)
古代の埴輪や宇宙人を思わせるユニークな風貌の郷土玩具、木葉猿。その起源は、都が京都に移されるよりも前の奈良時代初期といわれています。地元で採れた土を砕いて作った粘土を使い、型は使わず指先だけで粘土をひねり、素焼きします。この素朴な玩具は全国的に知られ、江戸時代の小説「南総里見八犬伝」の表紙に、今なお作られている馬乗猿が挿絵として登場するほど。大正時代の1930年には、文芸倶楽部主催の「全国土俗玩具番付」で東の横綱にも選出されています。明治頃までは4軒の窯元がこれを作っていましたが、現在残るのは木葉猿窯元の7代目となる
現在は、三女の川俣早絵さんが8代目として父と並び粘土をこねています。幼い頃から粘土遊びが好きで、小学生4年生のころ受けたインタビューでは「後を継いで両親を楽にさせたい」と語っていたほど。高校・短大・大学院と陶芸の基礎や理論を学び、一回り成長した姿で父へ師事しました。「厳しいご時世ですが、私の代で消えてしまっては先祖に申し訳がたたない。現在は娘が若い感性で私が思いつかないようなものを考えてくれますよ」と嬉しそうに見せてもらったのは、昔の型を使った泥面子や香立て。素朴な土味はそのままに、洋間にも馴染むデザインや最近はくまモン商品まで。さまざまなアイデアは、早絵さんによるものです。