工芸家プロフィール
インタビュー記事(2010年頃)
九州三大祭りの一つ、妙見祭で知られる八代神社のすぐそばで唯一、宮地手漉和紙づくりを続ける宮田寛さんの作業場兼自宅がある。家の前を流れる水無川の支流沿いでは、かつて手漉和紙が栄んに行われていたという。宮地手漉和紙は1600年(慶長5年)、柳川藩の手漉御用を務めていた矢賀部新左エ門が宮地の中宮川沿いで紙漉を始めてから400年以上の歴史がある。越前奉書紙の技法で漉かれる紙は、江戸時代には幕府や宮家への献上品とされ、明治初めまでは100軒以上の家が和紙漉きの仕事に携わっていた。8人兄弟の長男だった宮田さんが家業を継いだのは16歳のころ。当時は界隈20軒近くで和紙づくりが行われていたが、需要の減少とともに次々と廃業。今では宮田さんのみとなった。原料となる
家の前を流れる小川に網を張って原料をすすぎ、ゴミを取り除いたら叩き棒で叩いて再びすすいでさらし粉を完全に抜く。これを水に沈めてマガと呼ばれる道具でかき混ぜ、叩いて3日間水に漬けたトロロアオイの根から出る水を糊として加えたら、いよいよ紙漉きだ。1日で漉けるのは、98cm×55cmの300枚ほど。夏場のように気温が高いと糊が溶けてしまうため、12月から3月の寒い時期が繁忙期。天井の竹と漉道具の