1940年、第二次世界大戦前。古川昭二さんは13歳の頃に故郷・広島を離れて人吉市に住む叔父のもとへ。挽物師をしていた叔父から手ほどきを受け、1960年に独立し古川工房を開きました。主に手がけているのは菓子器や棗などの茶道具が中心です。玄関口に飾られた盆は子供の両手を広げたほどもある大きさで、野生の桑の木で作られた貴重なもの。「丸い形なら大抵のものは挽物になるよ」と、古川さんは笑います。年輪の中心となる芯は割れやすいため、挽物として使えるのは限られた部分だけだといいます。「蓋物の場合、たとえ同じ木でも、材料を取る場所が変われば蓋を重ねたときに木目が合わず、見栄えが良くない。本当はそこまで考えなくてもいいのでしょうけど」そこで妥協しないところが、古川さんの挽物が高く評価されている理由の一つでしょう。木材は、九州産が中心ですが、最近は手に入りにくくなったといいます。丸太の状態で最低5年は寝かせます。それから荒ぐり(荒めの成型)をして、さらに2〜3年寝かせ、しっかり乾燥させます。古川さんが選ぶのは同じ挽物師が見てもため息が出るほどの銘木ばかり。最高級とされる黒柿は、野生で小さな実を付ける柿の木の中でも、老木で独特の模様が入っているのは7割ほどしかありません。材料費だけでも高額で、現在ではほとんど入手が困難です。
拭き漆によって光沢を帯びた器全体に入った茶褐色の模様は、見る人の想像力をかき立てます。そしてもう一つ特筆すべき肥松は、おもに四国の海岸沿いにある黒松の中から、わずかに見つかる希少なものです。日光に当てると年輪が美しい橙色に透けて見えるのが、それだけ油分を蓄えている証し。
「肥松は油分を多量に含むため、食用油を塗っては拭き取る作業を2〜3年繰り返しながら、適度に油分を抜いていく。“油を油で制する”わけです」しっかりと寝かせた木材は、ベルトの付いた誘導式のろくろ機に固定し、器の外側と内側を2段階に分けて仕上げていきます。大きな音を立てながら回転する木の塊に丸ガンナを当てると、木屑がシュルシュルと四方へ飛び散り、角ばった木材が見事な丸い曲線を描き始めます。70年以上挽物に打ち込んできた古川さん。その作品は使い込むほどに深い光沢を生み、味わいを増します。まるで人生のよう。
工芸家紹介TOP/県指定 第1次指定一覧/HOME