工芸家プロフィール
岡部信行氏は、その7代目を受け継ぐ陶芸家です。有田で学び、信楽で3年、京都で3年修業の後、先代の久万策氏のもと家業に従事しました。三代に渡り使用してきた釉薬原料の枯渇により、赤海鼠が一時期制作できないという困難な時期がありましたが、独自の配合を研究し復活させました。釉薬の重ね掛けが生み出す独特の海鼠模様は、今も工芸ファンを魅了し続けています
インタビュー記事(2010年頃)
1765年、岡部常兵衛氏によって創業。
海鼠釉は、最初に下ぐすり(釉薬)をかけたあと、ワラ灰を使った釉薬をもう一度かける二度掛けが特徴。最初に鉄分が多い釉薬をかけて乾かせた後、2つめの釉薬を重ねると、それらが混ざり合って海鼠の肌のような色の深みが生まれます。「釉薬の原料は木やワラの灰を使うため、自然の影響で成分や発色も変わります。思わぬ変化が魅力の半面、同じものを作りたいときには苦労しますね」
簡単に材料をそろえることもできる時代ですが、作り手として自分で原料を吟味して納得しないものは使えないと岡部さんは語ります。「原料の確保が一番大変です。たとえば釉薬には酸化第二鉄を使いますが、崖の地層から鉄分の多い土を選んでも、自然なものだけに質の変動が激しい。現在は鉄分の多い阿蘇の黄土を使っていますが、これもまた均一ではなくて」黒みがかった従来の青海鼠は土がベースの陶器だが、赤海鼠は天草陶石が原料となる磁器。5代目がその特徴となる“赤のもと”を福岡の山から舟で運び、信行さんの代まで3代かけて使ってきました。「色も質も完全にこれだというものは、なかなか。“次はもっと良いのが出来る”という想いに取りつかれていくんですよ」
現在、8代目の祐一さんは守り継がれてきた釉薬を使いつつ、色の使い方やデザインの見せ方で自分ならではのものを追究。弟の俊郎(としお)さんは磁器を専門とし、水の平焼 器峰(きぼう)窯として開窯。頼もしい2人の担い手が、新たな伝統を紡いでいくことでしょう。