工芸家プロフィール
インタビュー記事(2010年頃)
天草市内にアートギャラリーのような建物があります。ここが170年以上の歴史のある「丸尾焼」の現在の顔です。創業は1865年、丸尾ヶ丘周辺に良質な製瓶用の粘土が産出したことと農閑期の現金収入を上げるために丸尾焼は開窯されました。その後、時代ごとに変化を遂げながら窯を守り続けています。そして5代目・金澤一弘さんは丸尾焼の“今”に挑み続けています。「少品目大量生産から多品目少量生産の時代となり、多様な物を創り出す技術のほうが有利に。長いスパンで考えれば人間の意識や価値観は変わっていくし、時代に応じて柔軟に帳尻をあわせていくものだと思うんです」。生活に密着したものをいかにたくさん創り出せるかをコンセプトにした器は、そのバリエーションの多さに驚かされます。そのまま飾ってもオブジェになりそうなディテールを考えたり、器の裏にまでデザインを入れてみたり。人の琴線に触れるものを作っていきたいと。
基本的な技術・技法は、3代目・武雄さんが当時の農商務省技師として全国の窯を回って釉薬を研究したデータやメモが財産として残されています。釉薬はベージュ・水色・黒・透明の4種類ありますが、祖父が残した調合をそのまま、またはアレンジして使っています。丸尾焼からはすでに多くの陶芸家が巣立っています。現在も若い人たちが独立を夢見て研鑽中です。「自分の代だけで終わるのなら目新しい技法でしのげればいいが、そうもいかない。後継者を育て、伝統のバトンを繋ぐのが当主に残された最大の義務ですから」。自らは浮き世を離れて自分のものを作りたいと笑います。伝統工芸というと昔のやり方をそのまま継承するものだと考えがちですが、金澤さんの話を聞いて“精神こそ伝統”であることがわかります。先祖たちが時代ごとに工夫を凝らして変化させてきたからこそ、伝統が継承されてきたのだから。