インタビュー記事(2010年頃)
「私の焼き物づくりは、湯呑みや飯碗といった“民陶”への憧れから始まりました」と語る、陶芸家の山本幸一さん。最初に修行した小石原焼(福岡県)の窯元で2年間、ロクロ、釉掛け、窯詰め、窯焚きなどを学びました。
「土に触れるうちにロクロで作る器だけでなく、形のない塊から手だけで作れる“モノ”へと興味を持つようになり始めて」イタリア人陶芸家来日の新聞記事に目が留まり、山本さんは何かを感じました。
「その陶芸家を通訳した人が紹介状を書いてくれて。イタリア・ファエンツァに飛んだんです」現地の学校で学ぶうちに「やきもの=器」という考えは徐々に崩れていきました。
「職人的要素と創作的要素が混在する日本と違い、イタリアでは日常の器を作る職人とアーティストは大別されています。現地では土と自由に向き合うようになって以来、土で何が作れるのかを考えてきました。」
土の可能性を追い求めて来た山本さんにとって、2001年の「注器展」がターニングポイントとなります。
「20年近く創作活動をしていて、ふと頭の中が固まっている自分に愕然として」1つのテーマに絞り、さまざまなデザインに挑戦することを決めます。
「手間がかかって誰もやらないもの…。ポットや急須を作ることにしました」個展に向けて作った40ほどの作品の反響は大きく、発見もあったといいいます。
「使い道がなさそうなカタチのポットの反響が大きく。用途という“制約”に縛られていたのは作り手側で、使い手の感覚はもっと自由だと感じました」
若いころは自分が作りたいものだけに没頭してきたそうですが「自分の作品に誰も振り向かなくても、オブジェでは仕方のないことかなと思っていたんです。何年かして評価されるようになって、人は振り向くものだと気づいた。誰も振り向かないのは“モノが語ってない”ということなんです」国内外で高い評価を受けるオブジェは、ホテル日航熊本の正面玄関に置かれたり、小説の装丁にもたびたび採用されています。近年、取り組んでいるのが「泥のかたち」をテーマにしたオブジェ。クリーム状の粘土にワラやもみ殻を入れて、これを型に流し込んで固めると、今にも崩れそうなはかない造形が見る人を惹き付けます。
「“おもしろいね”を超えて“欲しい”と言ってもらえたとき、作品を介して自分と外の世界がつながる。そんな作品を作っていきたいですね」