陶祥窯の技法のルーツである赤津焼。赤津焼の始まりは、奈良時代(700年頃)に焼かれていた須恵器という土器にまで遡り、江戸時代初期に現在ある伝統的技術・技法や名称が確立されました。桃山時代から江戸時代初期にかけて、志野釉・織部釉・黄瀬戸釉・御深井釉・古瀬戸釉・灰釉・鉄釉の7種の各種釉薬の技法が確立。愛知県瀬戸の赤津地区で尾張徳川家の御用窯として栄え、現在まで続いています。
福岡祥浩さんは赤津焼で修行を積み、1990年に瀬戸にて独立。そして3年後の1993年、現在の熊本県球磨郡錦町に窯を移しました。福岡さんは、この各釉薬を作品の目的に合わせて巧みに使い分け、日常で「使いたくなる器」・「使える器」作りをモットーに日々制作に励んでいます
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