肥後象がんの始まりは、今から400年前に遡ります。当時は銃身や刀の鐔に施され、あか抜けた重厚な美しさは、武士たちにとってダンディズムの象徴でもありました。明治維新後の廃刀令で多くの象がん師が転廃業を余儀なくされる中、100年以上の歴史を数える白木家。象がん師が4代続くのは近年珍しく、光虎さんは3代目です。肥後象がんの名を世に広めるべく、それまで前例のなかった初個展を開催。さらに翌年には、日本伝統工芸展や西部工芸展に初出品して入選入賞を果たします。航空管制の仕事に就いた後、父が病で倒れたのを機に仕事を継いだのが29歳のころ。「幼いころから肥後象がんに触れてきたので基本的なことは頭に入っていたものの、跡を継ぐとなるとそれでは足りない。そこで田辺家(1995年廃業)で修行しました」しかし図案の描き方などを教えてもらったことはなく、手探りでアイデアを練る日々。
「図案の99%は創作といっていいでしょう。時代のニーズにあったもの生み出していくことが“強み”となるんです」。花鳥風月などの図柄が多かった肥後象がんに幾何学模様などを取り入れ、洗練されたデザインで新境地を拓く光虎さん。展覧会に向けた作品作りが仕事の大半を占めるそうですが、絶え間なきアイデアはどこから湧いてくるのでしょう。「時間があれば教え子たちを連れて、美術館などへ出向きます。優れた絵画や書、彫刻などを幅広く観て感性を鍛え続けることが大切。自ら絵を描くこともあり、空間や流れのとり方の参考にしています」現在は肥後象がん師の育成にも尽力し、熊本県伝統工芸館で自ら養成講座を開催しています。「人を育てて技を継承することは、どんな勲章よりも重みがあると思っています。次世代の若者たちが生き生きと工芸活動できる環境作りにも取り組みたいですね」
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