その始まりは嘉永年間、小代焼葛城窯で学んだ野田廣吉が玉名都南関町で「松風焼」として登り窯を開きました。1937年に一旦は閉窯となりましたが、先代が残した文献や作品を頼りに窯を再興させたのが7代目となる野田義昭さん。「ずっと手仕事が好きでしたし、先祖が残した窯には幼いころからなじみがありましたから」韓国と兵庫県へ渡って焼き物の基礎や技術を身に付け帰郷しました。野田さんは、器の表面に型押しで文様をつける「印花」、線彫りや印押し部分に象嵌を施す「三島手」など、古くから伝わる技法を現代の器と融合させました。野性味のある土色をワラ灰釉の白が覆う霧がかった景色は、なんともいえない“わびさび”の世界を醸し出します。
粘土は地元の山で採った土と耐火度の高い土をブレンドしています。外側をコーティングする釉薬の材料にはワラ灰や竹灰、工房の薪ストーブで出来た灰を有効活用。手に持って使う湯飲みは重すぎず、目で楽しむ花器には適度な重量感を持たせています。それぞれの用途によって見た目と重さのバランスが計算されています。色味をおさえた作風は男性的にも見えますが、彩りの良い料理を盛りつけたときは名脇役となる姿が想像できるものばかりです。これこそ日常食器の理想形といえるでしょう。
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