インタビュー記事(2010年頃、2020年頃追記・変更)
白磁とは、こんなに美しいものか。日常でも磁器を目にし使う機会も多いですが、久保田烈工さんが突き詰めて来た白磁にはこの上ない気品が漂います。材料は、磁器づくりには一般的な天草陶石。しかし、その肌合いは生まれたての赤ちゃんのようにやわらかく見えます。陶器が焼成や釉薬の変化による“偶然の美”と表現するなら、磁器は釉薬の調合や生地の厚さを緻密に組み立てて生まれる“必然性の美”といえます。「透明釉に微量の鉄分を混ぜて彫刻を施した素焼きの器に掛けると、彫りに残った釉薬がほんのり青く発色します。この濃淡によって、無機質な白に表情が生まれます。硬い磁器をどう柔らかく表現するかを考えています」高校卒業後、大阪市役所で公務員として4年間勤めた烈工さん。当時は焼き物ブームの前兆期で、あちらこちらで開かれる作品展へと足を運ぶうち、近代的な焼物の世界に魅了されました。「公務員を辞め、焼物を学ぶために大学へ進学。卒業制作で磁器のおもしろさを知りました」以来、“磁器一筋”。地元・人吉に戻り、すぐに開窯しました。作陶33年を迎えた2010年、雅号と屋号を改めました。雅号の『烈工』には「強い信念をもち、勢いある作品を世に送る工でありたい」との決意を。屋号には「広々とした場所で磁器に悠久の時間をかけていきたい」との願いを込めて『鳥ヶ丘窯』から『悠斗窯』へと改めました。1996年に移転した人吉市矢黒町の工房周辺には、悠々とした森林が広がり創作活動にもってこいの場所です。
完璧さを求めるゆえに制限の多い磁器制作ですが、とくに乾燥と徐冷には気を使います。乾燥を急げば亀裂してしまうため、日陰で均一に水分を抜いていきます。また、焼成後は火を切ってから約1週間後に窯出し。急激な温度変化で破損するのを防ぐためです。艶消しの白磁にも取り組み、「同じ白でも釉薬の調合によってさまざまな表現ができます。レリーフした器とあわせて、人肌のように繊細な雰囲気を表現したいですね」白磁で名を馳せた父の背中を見て育ち、自らも同じ道を選んだ長男・久保田真土さん。大学時代は油絵を学びましたが、これも「家では勉強出来ないことを学び、焼物制作の糧にしたかった」という覚悟から。その頭角は早くも現れ、作陶4年目にして酒器コンテストの最優秀賞を勝ち取りました。「つい父の作品を追ってしまおうとしますが、自分のオリジナルを心がけたいですね。陶器好きな方にも手にとってもらえるような“崩した”磁器にも挑戦してみたいです」父から見た真土さんは“ていねいさ”が長所だと言います。息子を語る烈工さんは、一人の父として柔和な表情へと変わっていきました。
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