工芸家プロフィール
賞暦(1966年〜2011年) ▼
肥後象がんは、江戸時代初期に鉄砲鍛冶が鉄砲の銃身や刀剣の鐔に装飾として象がんを施したのが始まりといわれています。特に、細川忠興が時の名匠を召し抱えて制作にあたらせ、技量の奨励をはかったため、鐔や刀装金具類など数多くの名作が生み出され、全国的にも「肥後金工」として高く評価されました。
坊田透氏は、その技術を受け継ぐ伝統工芸士です。
終戦間際、家族で母の実家熊本へ移り住み、1955年京都駒井象嵌継承者 川人芳男氏、1962年肥後象がん作家 永代正一氏、その後人間国宝 増田三男氏に師事し腕を磨きました。
西部工芸展で多数入賞、全国伝統工芸士作品展「会長賞第一席」受賞など、作品に新たな色彩や現代的な抽象デザインを取り入れ、第一人者として肥後象がんの可能性を広げています。
インタビュー記事(2010年頃)
坊田さんが象がんを始めたのは18歳のとき。当時は就職難の時代でした。手に技を身につける職業がいいと探していたところ知人の紹介で京都の川人芳男氏に師事することとなります。象がんというものがあることも知らなかったとのこと。「修行が始まったころは、反抗したこともありましたが、実際に自分の力だけでは作れないと思い知らされ、それからは毎朝の掃除に始まり、職人の世界で社会人として鍛えられました」お使い先でお客様が師匠の作品を見て腕がいいと話しているのを聞くうちに、憧れの存在に変わっていったといいます。その頃身に付いた“上手な物を見てその人より上手なものが作れるように努力する精神”は今でも変わらない坊田さんの信念です。
「昭和35年ごろ、熊本で