ジャンル
ぞうがん

ライン

雅号・地域
永芳(熊本市)
氏名
ぼうとおる

ライン

坊田透

工芸家プロフィール

1937年
京都府宇治市にて生誕。
終戦間際、家族で母の実家熊本へ移り住む。
1955年
京都駒井象嵌継承者 川人芳男氏に師事。
1962年
肥後象嵌作家永代正一氏に師事、その後人間国宝増田三男氏に師事。

賞暦(1966年〜2011年) ▼

1966年
第1回西部工芸展入選
1970年
第5回西部工芸展 朝日新聞社銅賞受賞
1980年
重要無形文化財保持者(人間国宝)彫金 増田三男氏に師事
1992年
第27回西部工芸展 KAB熊本朝日放送賞 受賞
1992年
第27回西部工芸展 KAB熊本朝日放送賞 受賞
2000年
第35回西部工芸展 KAB熊本朝日放送賞 受賞
2005年
日本伝統工芸展入選 以降入選2回
2006年
全国伝統工芸士作品展「会長賞第一席」受賞
2007年
第42回西部工芸展 熊本県賞 受賞
2010年
第45回西部工芸展 熊本市賞 受賞
2011年
日本金工展入選
全国伝統工芸士作品展 伝産協会代表理事賞 受賞
その他
日本工芸会準会員
伝統工芸士

工芸家紹介TOPHOME

映像でみる肥後象がんの製作工程
坊田透 氏 アーカイブ映像

工芸家紹介TOPHOME

肥後象がんは、江戸時代初期に鉄砲鍛冶が鉄砲の銃身や刀剣の鐔に装飾として象がんを施したのが始まりといわれています。特に、細川忠興が時の名匠を召し抱えて制作にあたらせ、技量の奨励をはかったため、鐔や刀装金具類など数多くの名作が生み出され、全国的にも「肥後金工」として高く評価されました。
坊田透氏は、その技術を受け継ぐ伝統工芸士です。
終戦間際、家族で母の実家熊本へ移り住み、1955年京都駒井象嵌継承者 川人芳男氏、1962年肥後象がん作家 永代正一氏、その後人間国宝 増田三男氏に師事し腕を磨きました。
西部工芸展で多数入賞、全国伝統工芸士作品展「会長賞第一席」受賞など、作品に新たな色彩や現代的な抽象デザインを取り入れ、第一人者として肥後象がんの可能性を広げています。

インタビュー記事(2010年頃)

坊田さんが象がんを始めたのは18歳のとき。当時は就職難の時代でした。手に技を身につける職業がいいと探していたところ知人の紹介で京都の川人芳男氏に師事することとなります。象がんというものがあることも知らなかったとのこと。
「修行が始まったころは、反抗したこともありましたが、実際に自分の力だけでは作れないと思い知らされ、それからは毎朝の掃除に始まり、職人の世界で社会人として鍛えられました」
お使い先でお客様が師匠の作品を見て腕がいいと話しているのを聞くうちに、憧れの存在に変わっていったといいます。その頃身に付いた“上手な物を見てその人より上手なものが作れるように努力する精神”は今でも変わらない坊田さんの信念です。

「昭和35年ごろ、熊本でよねみつへいさんの刀のつばや帯留めなどを見て感動し、熊本で肥後象がんを学ぶことを決意しました」
当時、すでに一人前の職人として注文も受けていた坊田さん。米光氏に直接師事することはなかったが、何度も会い、アドバイスも受けました。熊本では象がん作家として活躍していた永代正一氏に師事。自分でも西部工芸展に作品を出すようになり、1965年ごろからは、自分の思うように好きな作品作りを本格的に行うようになり、現在に至ります。
「今後は肥後象がん師全体の技術のレベルアップや、古風な図柄にとらわれることのない抽象的なデザインなど、肥後象がんの可能性を広めていきたいですね」と坊田さん。

工芸家紹介TOPHOME