八代郡氷川町で高田焼に取り組む青木修さん・青木克裕さん親子。父・修さんは伝七窯の創設者である前田伝七さんのもとで仕事を手伝っていました。ロクロを回して仕事をしていた職人をみているうちに陶芸の魅力に惹かれていきました。その後、独学で焼き物の修業に入り、1965年7月1日、窯元ごと受け継ぐことに。「最初は技術なんて教えてもらえなくて粘土づくりだけ、ロクロも原始的で粗末なものでしたが、夜中に工房へ忍び込んではこっそり練習してました」高田焼は、朝鮮出兵の折に朝鮮半島から連れてこられた優秀な陶工の一人・尊楷が作陶を始めたのが起源だといわれます。独特の土味と釉調を生かし、高麗風の象嵌を施したのが特徴です。原料となる土はきめ細かいため、土作りがもっとも重要となります。「少しでもほかの土が混ざったら、見た目ですぐに分かってしまう。大変な重労働で作業の大半が粘土作りといってもいいほどです」コンピュータ制御で焼き上げる方法もあるこの時代に、“自らの目や感覚で確かめる仕事をしたい”と昔ながらの作り方を守り続ける親子。1つひとつに個性を宿した作品を見れば、こだわる意味が理解できます。