郷土玩具/Folk Toys

熊本県の郷土玩具について
郷土玩具は、身近な材料を使い、こどもへの思いや健やかな成長を願って作られたものが多く、郷土色豊かな玩具が伝承されてきました。
熊本市のおばけの金太、人吉市のきじ馬や花手箱などは個性あふれる玩具です。
玉東町の木葉猿のように、縁起物だったものが玩具として有名になったものも少なくありません。
八代市にはおきん女人形、板角力人形などがあります。
てまり類は、女性の遊び道具として愛され、江戸時代から武家の婦女子のたしなみとして作られてきたといわれています。
他にも、タヌキの置物が4つのコマに分解される彦一こまなどが有名です。
制作されている地域

 

おばけの金太
熊本市
木葉猿
玉東町
彦一こま
氷川町
きじ馬・花手箱・羽子板
人吉市
板角力人形・おきん女人
八代市
肥後まり
熊本市
肥後てまり
熊本市
い草てまり
 
天草バラモン凧
天草市
天草土人形
天草市
小川凧
宇城市

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おばけのきん/Obake no Kinta

おばけの金太について
おばけの金太は黒い鳥帽子に赤い顔をした郷土玩具で、頭の中にある竹バネ(0.2~0.3mmの薄さ)のからくりによって、紐を引くと目玉がひっくり返って表情が変わり、長い舌をペロリと出します。
おばけの金太の歴史
おばけの金太のモチーフとなった人物は、顔立ちが面白く、人を笑わせることが上手な「金太」という足軽が加藤清正が熊本城を築く際にいて、「おどけの金太」と呼ばれて人気者だったといいます。
そんな金太のお話伝説をもとに19世紀の中頃(嘉永年間)、人形師の西にしじんひこひち(五代目)がカラクリ人形を作り出したのが原型だといわれ、後に「おばけの金太」、別名「目くり出し人形」と呼ばれるようになりました。
現在は厚賀新八郎氏(十代目)が製作されています。

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おばけの金太

製造開始年代
19世紀の中頃
制作の中心地域
熊本市
材料
顔…紙
カラクリ…竹など
台座:木

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映像でみるおばけの金太の製作工程
厚賀新八郎 氏 アーカイブ映像

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ざる/Konoha-zaru

木葉猿について
木葉猿は、型を使わず指先だけで粘土を捻って作り、素焼きした素朴な玩具で、元は無彩でしたが、現在は彩色したものもあります。
悪病・災難除け、子孫繁栄などのお守りとしても用いられています。
代表的なものには、立姿の猿が両手で2匹の子猿を胸に抱える子抱猿、握り飯を抱えた飯喰猿、「見ざる聞かざる言わざる」の三匹猿、馬乗り猿などがあります。
木葉猿の歴史
723年(養老7年)の元旦に、「」の里に住んでいた都の落人が夢枕に立った老翁のお告げによって奈良の春日大明神を祀り、神社に奉納する祭器を木葉山の赤土を用いて作りました。残った土を捨てたところ、それが猿に化けたという伝説から生まれたものといわれています。

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R7workshop

製造開始年代
伝承では723年(養老7年)頃
制作の中心地域
玉東町(木葉)
材料
地元産粘土

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映像でみる木葉猿の製作工程
永田禮三 氏 アーカイブ映像

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ひこいちこま/Hikoichi Koma

彦一こまについて
タヌキの絵付けをした置物の形をしていますが、頭、胴、かさ、台と尾を組み合わせた部位に分解すると4つのこまになります。
他にも「おてもやん」や「くまモン」の彦一こまも作られています。
彦一こまの歴史
八代地方に伝わる、彦一がいたずらタヌキをとんちで負かす「彦一とんち話」からヒントを得て、1950年(昭和25年)頃、井芹勉 氏によって創作されました。

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彦一こま

製造開始年代
1950年(昭和25年)頃
制作の中心地域
氷川町
材料

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映像でみる彦一こまの製作工程
井芹眞彦 氏 アーカイブ映像

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きじうま/Kijiuma

きじ馬について
きじ馬は、子どもの健やかな成長を願う縁起物として親しまれてきた郷土玩具です。
きじ馬は九州だけにしか見られない素朴な郷土玩具として知られ球磨川と筑後川にはさまれた地域で多く作られています。
人吉のきじ馬は材にダラ(たらのき)、フシ(藤)、ヘラ(へらの木)などの雑木を使い、樹皮を剥いだままの木の丸味を生かして背面にし、頭部と腹部をナタで削って二輪車をつけます。
彩色は背部分だけで赤を主に黄、緑などで色をつけ、墨で頭に「大」の字や目などを入れます。
大きいものは、特に車輪部分が丈夫にできているのが人吉のきじ馬の特色で、全体に比較して太い車軸が胴体にしっかりと組み込まれており、丸木を輪切りにした車の中心に穴を開け、その車軸に取り付けられています。
球磨地方のきじ馬は子供が馬乗りになり、山の斜面をすべり下りて遊ぶのに適した玩具に作られており、そのためには、まず足まわりの丈夫なことが第一の条件でした。
きじ馬の歴史
きじ馬・花手箱・羽子板は、800年以上前、平家の落人たちが球磨地方に逃れ、人吉の奥地へ住み着いたとき、都の暮らしを懐かしんで作り始めたと伝えられています。

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きじ馬

製造開始年代
800年以上前
制作の中心地域
人吉市
材料
きじ馬:桐・ダラ・藤・柏

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映像でみるきじ馬の製作工程
住岡忠嘉 氏 アーカイブ映像

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はなばこ/Hanatebako

花手箱について
花手箱は、子どもの健やかな成長を願う縁起物として親しまれてきた郷土玩具です。
モミ、ヒノキ、杉などの板で作った箱で、白で地塗りした後赤と緑で椿の花が描かれます。
花手箱の歴史
きじ馬・花手箱・羽子板は、800年以上前、平家の落人たちが球磨地方に逃れ、人吉の奥地へ住み着いたとき、都の暮らしを懐かしんで作り始めたと伝えられています。

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花手箱

製造開始年代
800年以上前
制作の中心地域
人吉市
材料
花手箱:モミ、ヒノキ、杉

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いた/ Hagoita

羽子板について
羽子板は、子どもの健やかな成長を願う縁起物として親しまれてきた郷土玩具です。
山桐の板に山椿が鮮やかに描かれます。人吉で開かれるえびす市などで販売されました。
羽子板の歴史
きじ馬・花手箱・羽子板は、800年以上前、平家の落人たちが球磨地方に逃れ、人吉の奥地へ住み着いたとき、都の暮らしを懐かしんで作り始めたと伝えられています。

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羽子板

製造開始年代
800年以上前
制作の中心地域
人吉市
材料
羽子板:山桐

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いたもうにんぎょう/Itazumo Dolls

板角力人形について
板角力人形は江戸時代の天保年間に日奈久の嶋ヶ崎という力士にちなんで作られました。桐材の薄い板を切り抜いて作られます。
製造開始年代
江戸後期
制作の中心地域
八代市(日奈久町)
材料

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おきんじょにんぎょう/Okinjo Dolls

おきん女人形について
おきん女人形は八代市日奈久で桐材に着色して作られています。主に幼女が着せ替え人形やままごとに使うお土産品、飾り物として愛用されてきました。
桐の丸木を削って頭と胴体を作り出す形が、東北のこけしに似ています。別の板切れで手足を作り赤い布で胴につないでいます。頭部は墨で髪や目鼻をつけ、胸のあたりの少し平らに削られた部分に、各種の絵の具を使って花模様のついた腹がけが描かれています。
湯女の「おきん」という美人薄命の娘を悼んでつくられた人形で、「おきん女」の呼び名は日奈久温泉にまつわる民話の孝行息子と町娘おきんの恋物語にちなんでいます。別名「べんにんぎょう」ともいわれますが、「べんた」とは百済からの帰化人の「べん」にちなんでいます。
全長が小さなものは6p、大きなものになると20p位のものもあり、子供がおぶって飯事遊びをしたので、昔は5、6寸(15〜18p)位のものが多く作られていました。
製造開始年代
江戸後期
制作の中心地域
八代市(日奈久町)
材料

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まり/Higomari

肥後まりについて
江戸時代から伝わる各地のてまりを参考にして、1965年(昭和40年)頃から作り始められました。
もみがらを芯とし、草木染めした木綿糸で模様を作っています。
製造開始年代
戦後、1965年(昭和40年)頃
制作の中心地域
熊本市
材料
もみがら、木綿、草木染木綿糸

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映像でみる肥後まりの製作工程
肥後まりの会 山隈政子氏 アーカイブ映像

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てまり/Higotemari

肥後てまりについて
肥後ひごてまりは、しんにへちまをもちい、刺繍糸ししゅういと様々さまざま文様もようほどこしたてまりを肥後ひごてまりと呼びます。
てまりうたの「あんたがたどこさ」に出てくるてまりはこの肥後てまりといわれています。
肥後てまりの歴史
城勤めの奥女中さんが作り始めたのが始まりと言われており、明治ごろに広まったゴムまりの影響で一時は姿を消してしまいましたが、昭和43年に肥後てまり同好会ができ、その技術が受け継がれ多くの人々へ広められています。
製造開始年代
江戸時代前期
制作の中心地域
熊本市
材料
ヘチマ、綿、木綿糸、刺繍糸

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肥後てまり

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ぐさてまり/Igusatemari

い草てまりについて
イ草を芯にして、表面の装飾にもいぐさを編み込んだ熊本ならではのてまりです。
一針ごとに気持ちを込めてい草や草木染めの木綿糸で模様が縫い込まれたてまりたち、芯にもイ草が入っているので、ほのかにイ草の癒しの香りが漂います。
熊本い草てまりの会は、もともとは草木染めの木綿糸を使った手まりを作る趣味の会でしたが、「自然素材を使った原料で作れないものかと探していたとき、“熊本特産のイ草を使ってみては?」との思いからい草てまりを作り始められました。
材料
イ草、草木染の木綿糸、和紙など

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い草てまり

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がわだこ

小川凧について
竹ひご2本を十字に交差して組み立てる、正方形の角凧。糸は中心に1本のみ結び付け、長い足を3本付け、バランスをとるのが特徴です。
オランダから長崎県に伝わった角凧が110年程前(1910年頃)に熊本県に伝わったといわれる。小川町でも凧作りが普及し、その技術と伝統が受け継がれてきました。
小川凧としては、1979年に竹田兼喜氏が熊本県伝統的工芸品に指定されています。
小川凧保存会について
小川凧保存会は、凧作りの伝承に危機感を持った有志が集まり平成18年に設立されました。
小川凧の知名度向上と保存活動に取り組み、町内外の小学校、商業施設、地域イベント等で体験講座や販売を積極的に実施しています。

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あまくさどろにんぎょう

天草土人形について
地元では「ドロ人形」と呼ばれ、なかでもやまんば(女性が胸をあらわにして膝の上の子供に乳房をふくませている土人形)は、かつて隠れキリシタンに信仰されていたといわれています。
天草土人形は、戦後(昭和20年代)に一度途絶えてしまいましたが、2002年(平成14年)にもう一度復活しようと、天草土人形保存会ができ、現在も製作を行っています。
2023年3月20日に天草土人形保存会が熊本県伝統的工芸品に指定されました。

天草土人形

天草土人形

やまんば(写真下)

天草土人形の製作工程
1.型抜き
粘土を練って粘土板をつくり、二つの型に粘土板をはめ込む。型を合わせ内側から粘土紐でとめ、型を外す。
2.成形
竹へらなどで余分な粘土を取り除き、成形する。
3.素焼き
窯で素焼きする。
4.下地塗り
素焼きした人形に白の下地を塗る。
5.絵付け
下地が乾いたら着物等に色を塗る。
6.顔入れ
顔に眉毛や目、鼻、口等を入れる。

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天草土人形の歴史
今から280年ほど前、1717年(江戸時代享保2年)に佐賀県唐津の浪士、広田和平が博多、弓野(佐賀)、長崎など各地で土人形の作り方を学び、窯を利用した素焼きの人形を作るようになったのが最初といわれています。
初期のものは、型を打ち出した片面の仏像という簡単なものでしたが、次第に両面を接合した中空の人形になっていきました。
二代金蔵、三代政吉の頃には五月雛、三月雛を中心に各種の人形が作られ、四代利八の頃(嘉永2年〜大正11年没)が最盛期で近隣の住民を動員し、数多くの人形を制作、九州一円に販路を拡大しました。その後、五代富造、六代力造と続きましたが、七代元一(基二)で廃絶しました。

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あまくさバラモンだこ

天草バラモン凧とは?
微風でも上がるように竹ヒゴが細く、図柄は朝日に鶴が舞い上がり下部には亀が描かれた、目出度いものとなっています。
江戸時代頃にポルトガルの宣教師が伝えたと言われており、天草では、男児の初節句に天草バラモン凧を贈ってお祝いをしていました。
製造開始年代
江戸時代後期
制作の中心地域
天草市
材料
真竹、女竹、和紙

天草バラモン凧

天草バラモン凧の製作工程
  1. 竹ヒゴを作る
  2. 竹ひごを組み立てる
  3. 紙を張る
  4. 彩色する
  5. 糸付けする

その他の郷土玩具

 

はりざいはり

張り子細工について
和紙の重ね貼りで作られた面や獅子頭などに彩色した郷土玩具で、玩具や置物として使われます。
張子の技術は江戸時代に始まり、1つの型から何個も同一の作品を作ることができるといわれています。
※現在、熊本では制作されていません。
宇土張子について
宇土張子は明治時代に坂本勝治が妻のサキと共に張子を作ったのが始まりといわれています。勝治が75才で他界した後、娘のカツが母と共に製作を続け、戦時中でさえも作り続けました。
宇土張子には、相撲取りやおきなこぼし、蒸気汽船、虎車、飾り馬、大天狗面、烏天狗面など30種近くありました。終戦の前日の空襲で、原型は焼失しましたが、戦後もいち早くおきなこぼしは復活したようで、昭和30年頃にはかなりの種類が復元されました。
カツの他界後は孫の光勝の妻の坂本紀美子が製作を行っていましたが、紀美子が亡くなると一時途絶えます。
現在はカツのひ孫にあたる、坂本るみ子氏が県外にて製作されています。

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張り子細工

製造開始年代
江戸時代前期
制作の中心地域
宇土市など
材料
和紙、ふのり、ふん

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なんばんてまり

南蛮てまりについて
南蛮手まりは、天草地方に伝わるまりです。
南蛮てまりの基本的な制作工程は、綿を丸めて球をつくり、木綿糸等で形を整える「土台まり」作り、「地割り作業」を行い、飾り糸( リリアン) でかがり、金糸・銀糸で仕上げます。
団体・工芸家名
ほんまちじんかい(1979年第1次指定時名称)
あまくさまりの会

 

こま(肥後こま)

こま
熊本市
熊本のこまについて
は唐時代の中国からこうらい(現韓国北西部。昔は「こま」と発音しました)を経て渡来したといわれ、高麗に近かったせいか九州各地で盛んに作られました。見世物や行事の出し物として演じられたのち、平安時代には貴族の子ども達の遊び道具になり、江戸時代には庶民の間に流行しました。
なかでも伝統的な肥後こま(熊本ごま)は変化に富んだ形をしており、種類は20種近くあります。
特色のある「ちょんかけごま」は、直径が10p位のお盆のような形をしており、上部がやや凹んでその部分のみ彩色されています。中心に鉄の芯棒が打ちつけてあり、こまを回すときは、芯棒に紐を一回まきつけて両手指に紐の端を持ち、上下に動かして回します。だるま、とんぼ、坊主ごまもよく遊ばれたこまで、上部と下部と対照的に盛り上がっており、真中あたりから上だけが彩色され、下は白木のままです。その他でべそやどんべんなど変化に富んだものがあります。
肥後こまの色は五つあり、それぞれ人間の内臓にたとえられているといわれています。

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くまもといっとうぼり

くまもといっとうぼり
人吉市
くまもといっとうぼりについて
くまもと一刀彫は、村上一光さんが独学の末に確立した新しい手法で作られた工芸品です。

 

その他の郷土玩具

もんまり
あさぎり町

 

さくらてまり
水俣市

 

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うそ
上天草市

 

とうきび人形
阿蘇市

 

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郷土玩具の工芸家
※現在製作されていない工芸家も掲載しています。

おばけの金太
厚賀新八郎
厚賀伸彦
彦一こま
井芹勉

井芹眞彦

花手箱・獅子頭・羽子板
池口正樹
きじ馬・羽子板・花手箱
住岡忠嘉
住岡孝行
きじ馬・花手箱
宮原健雄
宮原清光
日隠寛一
山本文博
羽子板・花手箱
池口真人
きじ馬
源島斉
斉藤友安
板角力人形・おきん女人形
桑原健次郎
桑原哲次郎
肥後まり
外村吉之介
肥後まりの会(山隈政子)
肥後まりの会(昇裕子)
肥後てまり
肥後てまり同好会(後藤照)
肥後てまり同好会(鶴田美知子)
い草てまり
熊本い草てまりの会(山村玲子)
小川凧
竹田兼喜(宇城市)
小川凧保存会(宇城市)
天草土人形
天草土人形保存会(天草市)

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肥後こま
中島寅男(熊本市)
天草バラモン凧
番田龍夫(天草市)
天草凧の会(天草市)
南蛮てまり
本渡町婦人会(天草市)
天草手まりの会(天草市)
くまもと一刀彫
村上一光(熊本市)
うそ・獅子頭
水野清一(上天草市)
さくらてまり
石山ミツエ(水俣市)
家紋球磨まり
木下ヒルヨ(あさぎり町)
とうきび人形
迫幸七(阿蘇市)
宇土の張り子
坂本カツ
坂本紀美子(坂本人形屋 京都府)
張子細工
厚賀昭男

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About Folk Toys of Kumamoto

Many of these toys were traditionally made for children using readily available materials with the hope that the children would grow up strong and healthy. Toys are still made in Kumamoto using color schemes traditionally found in the area. There are some famous toys that were originally used as lucky talismans.

Obake no Kinta

Obake no Kinta

Obake no Kinta

When Kumamoto Castle was constructed 400 years ago, there was a foot soldier was quite good at making people laugh. He was called “Odoke no Kinta,” meaning “Funny Kinta.” Wind-up dolls were made based on this soldier in the 19th century, and were later called “Obake no Kinta,” meaning “Spooky Kinta.”
Obake no Kinta toys have a bright red face and a string attached which when pulled causes the doll’s eyes roll back and its long tongue to loll out.

 

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Konoha-zaru

木葉猿

Konoha-zaru

Konoha-zaru, or Konoha monkeys, are simple toys made of unglazed clay in the Konoha area of Gyokuto Town. They are formed without a mold by roughly shaping the clay with one’s hands. It is said that in 723, a refugee from the capital made items to be offered at a shrine using the red clay found at Mt.
Konoha after he received a divine message in his dreams. According to legend, the leftover clay he threw away transfigured itself into monkeys.
Konoha-zaru are nowadays used as charms to protect against illness and calamities as well as wish for the prosperity of one’s family.

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Hikoichi Koma

彦一こま

Hikoichi Koma

Hikoichi koma, or Hikoichi spinning tops, were designed based on the folklore, “Hikoichi’s Witty Story.” In this story, a man named Hikoichi defeats a naughty raccoon dog using only his wits.
The toy is actually an ornament shaped like the raccoon dog which can be taken apart to produce four spinning tops from the animal’s head, body, bamboo hat, and stage plus tail.

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Kijiuma, Hanatebako, Hagoita

きじ馬・花手箱・羽子板

Kijiuma, Hanatebako, Hagoita

More than 800 years ago, Heike soldiers settled in the remote regions of Hitoyoshi after being defeated in battle in the Kuma area. It is said that they began crafting kijiuma, hanatebako, and hagoita in response to feelings of homesickness for their former lives in Kyoto. These toys are made from the wood of various trees including paulownia, Japanese angelica, wisteria, and oak. They are given a rustic design with red, yellow, and green paint.

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Okinjo Dolls & Itazumo Dolls

おきん女人形・板角力人

Okinjo and Itazumo dolls are toys from the Yatsushiro area. Okinjo dolls are made by painting paulownia wood. These dolls are used by young girls to play dress up or play house.
Itazumo dolls were originally made in connection with sumo wrestlers from Hinagu in Yatsushiro City.

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Higomari

肥後まり

Higomari is an ornamental ball with a core made from rice hulls and wrapped in cotton string colored with natural vegetable dyes to produce a design.
Higomari have been made since around 1965 and were based on the ball-shaped ornament “temari,” which have been produced in various regions across Japan since the Edo Period.

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Higotemari

肥後てまり

‘Higotemari’ is an ornamental ball. Women have transmitted the method for crafting these balls for hundreds of years. The famous song ‘Antagata Dokosa’ was made for the ‘Higotemari’.

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